冷酷御曹司と仮初の花嫁
 静香と龍子なら……静香の方が少しは違和感がない。どうしようか本当に悩んで、結局は自分の中でストンと落ちたのは麗奈さんの名前だった。申し訳ないとは思うし、背伸びどころか飛んでも届かない美しい麗奈さんを思いだすと、小さく息が漏れる。二時間だけだからと手を合わせた。

 それにしても、麗奈さんの本名を名乗ることになるとは思わず、ドキドキが止まらない。心臓に悪いと思ってしまった。

「静香でお願いします。緊張しますけど麗奈さんの名前なんて」

「わかったわ。じゃ、静香ちゃんって呼ぶわね。今回のお客様は少し難しい接待らしいのよ。だから、静香ちゃんは何を聞いてもニッコリと笑って、教えてくださいって感じで、絶対に自分の意見を言わないこと。もしも、変に口を出して、契約が反故になったら、困るからね。それと、お酒はあんまり飲めない新人設定で行くから」

「はい」

 仕事の接待で来ている。相手は気難しいらしいなら、返って色々な情報がない方がいいような気がした。きっと、二度と会わないし、今日は化粧で武装もしている。着物も来ているし、絶対に分からない。たった二時間。それだけ……。それにしてもお金の為にこんなことをするとは思わなかった。

 背に腹は代えられないと言い聞かせて……。

「もう、いらしているから、行きましょう。とりあえず全力でフォローするから、静香ちゃんはニッコリと笑ってくれたらいいから。本当に香水の香りが苦手なら、このような店ではない方が商談が上手くいくと思うけど、リサーチ不足は接待する側の手落ちね」

 もう、千夜子さんは私のことを陽菜ちゃんとは言わない。もう、このフロアに足を踏み入れた時から、私は……静香にならないといけない。でも、こんな煌びやかな経験はないから、一歩歩くだけで、足が揺れる。

「はい。でも、千夜子さん。緊張しすぎて息が……」

「大丈夫。本当に可愛いから。元々、可愛らしい顔立ちとは思っていたけど、こんなに化粧が似合う子もいるのね。本当に可愛いわ。大丈夫、自信をもって」
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