偽りの花婿は花嫁に真の愛を誓う
ズレてもいない眼鏡を、彼がくいっと上げる。
本当にいい旦那様で羨ましい。
いや、御津川氏が夏原社長に劣るなんて言わないけど。

「それにしても咲乃……いまは、御津川か。
御津川が会社を辞めたのは惜しかったな。
君にはあと二、三年で営業統括部初の女課長、なんて期待していただけに」

「夏原社長……」

ふっ、と淋しそうに笑い、彼がグラスを口に運ぶ。
そんなに彼が私のことを買ってくれていたなんて知らなかった。
知るといよいよ、会社を辞めたのが悔やまれる。

「もしよかったらいつでも戻ってきてくれ。
出産して落ち着いてからでもいい。
待っているから」

名刺入れから名刺を一枚抜き、彼は渡してくれた。
私を見つめる、レンズの向こうの瞳に嘘はない。
もともと、社交辞令なんて失礼な相手にしか使わない人だった。

「夏原社長、私」

いま、就職活動をしているんです。
すぐにでも働けます、なんて言ったらどうするんだろう。
< 131 / 182 >

この作品をシェア

pagetop