哀愁の彼方に
な生活ではあったものの市松は、それを苦しいと感じたことはなかった。むしろ、彼は、
楽しく感じていた。物資的にも金銭的にもどん底であったが、心の豊かさは、日々に醸造
されてだんだんとまろみをおびて市松の風体からは、聖人のような気品と仏様のような穏
やかさが漂ってきていた。そんなある日、祖父は、畑仕事の最中に倒れて、そのまま息を
ひきとった。彼が、十四歳の冬であった。葬式を出すお金もなく、近所や親戚のごく親し
い人々が集まり祖父の弔いをした。彼は、悲しかった。祖父の死に対する悲しみもさるこ
とながら、貧しさの故に、何一つ、うまい物や食べたい物を食べることなく、仮にそのよ
うな物があったとしても、自分は、食べずに市松にそれを食べさせる姿を思い出すたびに
彼は、自分の無力さをたまらなく悲しく感じた。その翌年、市松が十五歳の春に祖母が、
過労で倒れた。祖母は市松が、投げ無しの小遣いで祖母のために買ってきた果物を「もっ
たない」と言いながら、ひと口、食べて涙を流すだけだった。祖母は、その日の夜に「有
難う」を連発しながら息が切れた。市松は、少年心に肉親が、次から次へと死んでいくの
に耐えられない悲しみで叩きのめされた。悲しみのあまりに涙も枯れて、流れなかった。
医者にも十分に診てもらうこともなく、うまい物を食べるよしもなく、腹いっぱいの飯す
ら食えないで死んでいった肉親の無念さを、一番よく理解できていたのである。市松は、
とうとうこの世で、本当に一人ぼっちになってしまった。何事につけても、全て自分でし
なければならないのだ。彼は、中学校を卒業すると奉公に出た。
 奉公先は、近江の山奥で大きな雑貨屋を営んでいる山北屋である。山北屋は、表向きは
雑貨商であったが、仕事を請け負う請負や労働者を派遣する手配もしていた。
主人の山北重一は、仕事の性格上、多くの使用人をかかえていた。重一は、使用人を人の
ように考えなかった。牛馬のように酷使したうえに、その扱いは、牛馬以下であった。こ
んな彼であったから、使用人に対しては、ひとかけらの情も示さず、徹底的に酷使するの
である。しかもケチで、評判のよい男では、なかった。重一は、手広く商売を行ってたい
そう儲けていた。そこには、表にできない商売も幾つか含まれていたのである。とりわけ
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