バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
 ベリヒル美術館の内部は、一般的な展覧会場とは違って、まるで貴族の館のような雰囲気だった。

 壁にはタペストリーが掛けられ、繊細な装飾が施されたテーブルや椅子が置かれていたり、金文字で装丁された革表紙の本を並べた書斎を再現してある区画や、天蓋付きのベッドまで置かれている展示室もあった。

 その一角にたたずむ着物姿の女性が一人いた。

 だが、どうやら日本人ではないようだ。

「母さん、こっちじゃないって言っただろ」とミケーレさんが日本語で話しかける。

「私の絵を私が見て何がいけないのですか」

 少し顎を上げぎみに振り向く老婦人はやはりイタリア人だった。

 灰紫の色留袖を着こなすだけでなく、親子喧嘩も日本語でしてしまうなんて、相当日本との関わりが深いようだ。

 社長が手を差し伸べる。

「エマヌエラさん、ようこそ。いかがですか、ご指示通りの展示場だと思いますが」

「さすがは新羅さんですね。イメージ通りです。サレルノの我が家に帰ってきたかのようですよ」

「ありがとうございます」

 老婦人はミケーレさんの母親で、ドナリエロ財団に個人財産のすべてを寄付してからは文化交流や慈善活動に取り組んでいるのだそうだ。

 先輩が耳打ちして教えてくれた。

「この展示場はね、サレルノのドナリエロ家の調度品もすべて運び込んで、実際の貴族の館を再現したんだって。絵画は絵画として切り取るのではなく、時代背景や場の雰囲気も含めて鑑賞してもらおうっていうのが、エマヌエラさんが提案した企画なんだって」

 私も一度ヨーロッパ旅行でフランスのお城に行ったときのことを思い出した。

 そのときに、やはり同じように、当時の城主の書斎がそのまま残されていて、無造作に並べられた絵画を見て驚いたことがある。

 確かに、美術館なら時代や作者別に並べるべきかもしれないけれど、本来の貴族のコレクションというのは、そういった気まぐれなものだったのだろう。

 堅苦しくなく、城主の好みに忠実に並べられた絵画コレクションのおもしろさに、あまり美術に興味のなかった私でも思わず引き込まれたことを覚えている。

 それを日本で再現してしまったこの美術展は、相当お金もかかっているのだろう。

 だからこそ、今夜のPRはとても重要だし、失敗は許されないのだ。

 責任の重さに思わず膝が震えそうになる。

 それなのに、山中先輩の表情はとても冷静だ。

 やはり普段からこういう仕事に携わっているからなのだろうか。

 私なんかがお役に立てることがあるとは思えなかった。

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