バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
思いがけないやりとりになったところで社長が割って入った。
「山中もアマンダさんと一緒に衣装を着てみたらどうだ」
「社長、あくまでもプライベートな趣味ですから」
「じゃあ、業務命令だ。ご招待したお客様に喜んでもらうためだ」
アマンダさんもはしゃいでいる。
「ワオ、信じられない! ぜひ、ぜひ、すぐに着替えてきましょうよ」
市場へ売られていく子牛のように背中を丸めた先輩が引っ張られていく。
あんな先輩見たことない。
意外な一面があるものだ。
エマヌエラさんの案内で社長が絵画を見て回っているうちに、アマンダさんと先輩が戻ってきた。
ルネサンスの衣装に濃いめのメイクが映える。
やはりスイッチが入るのか、あれほど嫌がっていたのに、すっかり役になりきっている。
「すごいね、亜莉沙」と美咲さんが上から下までなんども眺めながら驚いている。「昔、写真で見せてもらったことしかなかったけど、やっぱりすごいんだね」
先輩は凜とした表情を崩さずにポーズをとっている。
「山中、すばらしいじゃないか」と社長が褒めても貴族のお姫様のように鷹揚にうなずくだけだ。
私の知らない先輩が目の前にいる。
と、先輩の手の中でスマホが震える。
なりきっていても仕事を忘れないのはさすがだ。
「社長、イタリア大使の車が到着したそうです。文部科学大臣は永田町を出たそうです。あと十分で到着です」
「よし、じゃあ、私も出迎えに行こう。みなもよろしく頼むぞ」
社長が会場を出ていって、社員がそれぞれの配置に向かう。
やばい、緊張する。
「七海、震えてるの?」と、先輩に心配されてしまう。
「はい。こういう場に慣れてないもので」
「七海は変わらないね」と先輩が私と向かい合わせになって肩に手を置いた。「新人研修の時のこと覚えてる?」
「前の会社の時ですか?」
「あの時さ、私のこと『おかあさん』って呼んだでしょ」
思わず、ウワッと叫んでしまった。
「な、なんで今、そんなこと言うんですか」
「だから、あきらめなさいって。そうすれば人間、腹が据わるから。七海は七海よ」
「無理ですよ。解決になってないじゃないですか」
「じゃあ、『人』っていう字を手のひらに書いて飲み込みなさいよ」
「あれって効くんですか?」
私は左手を開いて『ひと』という漢字を書いてみた。
あれ?
『入』だっけ、『人』だっけ?
え、どっち?
両方書いているうちに、どっちがどっちだか分からなくなってしまった。
「先輩、『ひと』って漢字、どう書くんでしたっけ?」
顔を上げたときにはもう先輩はいなくなっていた。
どうしよう。
先輩が私の黒歴史をほじくり返すから、また変な汗をかいてしまった。
私は社長からいただいた香水をシュッと吹きかけた。
爽やかな香りが私を包み込む。
不意に社長の顔が思い浮かんで顔が熱くなる。
でもなぜか、心は落ち着いていた。
よし、頑張ろう。
私はスーツのポケットにしまった香水の容器の感触を確かめながら先輩の背中を追いかけた。
「山中もアマンダさんと一緒に衣装を着てみたらどうだ」
「社長、あくまでもプライベートな趣味ですから」
「じゃあ、業務命令だ。ご招待したお客様に喜んでもらうためだ」
アマンダさんもはしゃいでいる。
「ワオ、信じられない! ぜひ、ぜひ、すぐに着替えてきましょうよ」
市場へ売られていく子牛のように背中を丸めた先輩が引っ張られていく。
あんな先輩見たことない。
意外な一面があるものだ。
エマヌエラさんの案内で社長が絵画を見て回っているうちに、アマンダさんと先輩が戻ってきた。
ルネサンスの衣装に濃いめのメイクが映える。
やはりスイッチが入るのか、あれほど嫌がっていたのに、すっかり役になりきっている。
「すごいね、亜莉沙」と美咲さんが上から下までなんども眺めながら驚いている。「昔、写真で見せてもらったことしかなかったけど、やっぱりすごいんだね」
先輩は凜とした表情を崩さずにポーズをとっている。
「山中、すばらしいじゃないか」と社長が褒めても貴族のお姫様のように鷹揚にうなずくだけだ。
私の知らない先輩が目の前にいる。
と、先輩の手の中でスマホが震える。
なりきっていても仕事を忘れないのはさすがだ。
「社長、イタリア大使の車が到着したそうです。文部科学大臣は永田町を出たそうです。あと十分で到着です」
「よし、じゃあ、私も出迎えに行こう。みなもよろしく頼むぞ」
社長が会場を出ていって、社員がそれぞれの配置に向かう。
やばい、緊張する。
「七海、震えてるの?」と、先輩に心配されてしまう。
「はい。こういう場に慣れてないもので」
「七海は変わらないね」と先輩が私と向かい合わせになって肩に手を置いた。「新人研修の時のこと覚えてる?」
「前の会社の時ですか?」
「あの時さ、私のこと『おかあさん』って呼んだでしょ」
思わず、ウワッと叫んでしまった。
「な、なんで今、そんなこと言うんですか」
「だから、あきらめなさいって。そうすれば人間、腹が据わるから。七海は七海よ」
「無理ですよ。解決になってないじゃないですか」
「じゃあ、『人』っていう字を手のひらに書いて飲み込みなさいよ」
「あれって効くんですか?」
私は左手を開いて『ひと』という漢字を書いてみた。
あれ?
『入』だっけ、『人』だっけ?
え、どっち?
両方書いているうちに、どっちがどっちだか分からなくなってしまった。
「先輩、『ひと』って漢字、どう書くんでしたっけ?」
顔を上げたときにはもう先輩はいなくなっていた。
どうしよう。
先輩が私の黒歴史をほじくり返すから、また変な汗をかいてしまった。
私は社長からいただいた香水をシュッと吹きかけた。
爽やかな香りが私を包み込む。
不意に社長の顔が思い浮かんで顔が熱くなる。
でもなぜか、心は落ち着いていた。
よし、頑張ろう。
私はスーツのポケットにしまった香水の容器の感触を確かめながら先輩の背中を追いかけた。