バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
 テーブルの上には黒いボトルが置かれていた。

 昼から赤ワインだろうか。

 病院でお酒がほしいなんて思った自分のことは棚に上げておく。

「アイスティーでいいかな」

 あ、紅茶なのか。

 ちょっと拍子抜けだった。

「ありがとうございます」

 社長自らフルートグラスに琥珀色の液体を丁寧に静かに注いでくださる。

 まるでシャンパンみたいな扱いだ。

「じゃあ、無事退院に、乾杯」

 触れ合ったグラスが澄んだ音を奏でる。

 口を付けようとした瞬間、濃厚な香りが立ちのぼってきて思わず手が止まった。

「どうした?」

「いえ、香りだけでも深い味わいの分かる紅茶だなって」

 実際に一口含んでみると、口や鼻から体中に芳醇な味わいが広がっていき、後からほんのりとまろやかな渋みがアクセントを添えてくる。

 なんなんだろう。

 紅茶じゃないけど、紅茶だ。

「高級品なんですか?」

「どうだろう、一本三万円だったかな」

 思わずむせってしまう。

「値段を気にしたことはないんでね。開けたらすぐに飲んでしまわないと、どんどん香りが逃げていってしまうんだ。ほら、この空間がアロマで満たされていくようだろ」

 本当だ。

「でもなんて言うか、全然強く主張する香りじゃないですよね。いつの間にか包まれているような安らぐ香りでしょうか」

「ワインなんかよりよっぽど繊細だろ。だからこういった細いグラスで香りを集中させて味わった方がいいんだよ。そして澄んだ色合いを横から眺めて楽しむ」

 なるほど、そうだったのか。

 飲み物とグラスの組み合わせなんて気にしたこともなかった。

 一つ一つの細かいところにちゃんと意味がある。

 ここにいる人たちは、いつもこんなものを当たり前のように飲んでいるんだろうか。

 私がグラスを空けてテーブルに置くと、社長は満足そうに微笑んでいた。

「気に入ってもらえてうれしいよ」

「ごちそうさまでした」

 あ、そうだ。

 お礼を言わないと。

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