情熱
いただきものだというワインは、新潟の小さなワイナリーの限定醸造品だという。
普通に手に入れられるものではないそうだが、たまたま頂く機会があったらしい。
近年は日本ワインも注目されているというが、そのほどよい渋みとまろやかな酸味は、里穂にとっても親しみやすい味わいだった。

「赤ワインがおいしく感じるようになるのって、ちょっと大人って思わない?」
里穂の言葉に貴広は「そう?」と返した。
「私の周りは、白ワインがみんな入り口だったわ。赤のほうが飲みにくい感じがして」
「まあ、赤のが渋みとかあるから。白のほうが日本酒感覚っていう人もいるしね」
「でも今は、赤ワイン、大好きよ。おいしいわ」
里穂が言ってグラスの中の赤い液体を飲み干すと慣れた手つきでグラスに液体を足しながら貴広は笑った。
「加齢によって味を感じにくくなるっていう話があったな。苦味なんて昔はまずいだけだったのに。ゴーヤとかさ。いつのまにかおいしさになってるんだから。年をとったって思うよ。」
そういって深夜ワイングラス片手に笑う二人の男女は、年を取ったというほどではなかったが、もう十分に大人だった。
家庭を持つことも、一人で生活をしていくことも、どちらも十分に可能なほどに。

「宗が、貴広のほうが自分より大人だって言ってたわ」
「宗に会ったんだ?」
何気ないはずの言葉に、貴広はきちんと反応した。その瞬間、彼の顔が少しだけ険しくなったようだった。
「仕事帰りに少しだけね。宗の家とうちの職場って近いから」
貴広の言葉にわずかに動揺した里穂は、まるで言い訳のようにあわてて言った。別に言い訳する必要もない。嘘をつく必要もない。それでも余計なことは言わないでおくべきことのような気がした。なんとなくみんなのために。

里穂の言葉に、ふうん、と言って貴広はワイングラスを口元に運んだ。その顔がつまらなそうに見えたのは、気のせいだろうかと思いつつ里穂も同じワインで口を湿らすと彼はぱっと表情を明るくして、昔と何も変わらない様子で笑って言った。
「ごめん、正直なことを言うと、おもしろくない、と思った」
貴広は恥ずかしいねえ、子どもみたいに嫉妬しちゃってと付け足して、と自分を馬鹿にしたような顔をみせた。こういうとき、いつまでも気にしたり根にもったりせず、素直な感情を述べるのが彼らしかった。それでも冗談交じりでも、彼の気持ちはわかったつもりだった。

そして彼の笑いにつられるように里穂も笑って言った。
「そんな、だって、宗よ?」
「宗、だからだよ」
貴広は笑顔でありながら真顔で、そう言った。そのときまた空気は少しだけ張り詰める気がした。
「で、俺のほうが大人だって?とんでもないね。いつだって宗のが年上みたいな感じだよ。落ち着いていて、高校生の頃から一歩引いたところで静観して、冷静に判断できて。宗は誰も傷つかない言葉をきちんと選ぶ。」
残っていたワインを飲み干すと少しも酔ってなんかいない様子で貴広は言った。
「他に何か言ってた?元気だった?」
俺も最近は会っていないんだ、と言って、その強い視線が何に対してかはわからないが、里穂には少しだけ怖く感じられた。視線をそらさないまま里穂は静かに言った。
「元気だったわ。貴広によろしくって」
それは宗一郎は、里穂と貴広が二人で会っていることを知っている、と伝えているのと同じだった。
そう、と相槌を打って、貴広は静かに自分のと里穂のグラスにワインを足した。
ワインはちょうど、底をついた。どうして物事の終わりはいつも少しだけさみしいのだろう。たとえワインが終わってしまうだけでも、と思いながら、里穂は「もう少し飲もうよ」と言った。終わって欲しくなくて、いつまでも楽しい夜が続いていってほしくて。

彼がいつも飲んでいるというウィスキーをいくらか飲んで午前二時が近づいてきた頃、大きなあくびをした里穂に貴広はタクシーを呼ぶよと言った。
すっかり安心した里穂は、いいわ、と断った。
ソファで朝まで寝させてもらえれば十分。始発は好きだからと。
「だめだめ、帰りなさい」
貴広はまるで父親か兄のように言った。
「どうして」
先ほどは遊びにおいでと誘っておいて、今度は帰れと言う。その言葉に里穂は少しだけいらだったように「勝手ね」と言う。あと数時間で再び電車は動く。朝の澄んだ空気の中を歩いて帰るのはなかなかいいものなのに。

「普通の男はね、好きな女が目の前で寝てて何もしないでいられないって」
彼の言う好きな女、というのが自分のことだとはすぐにわかった。先ほどからのストレートな愛情表現に続いて、里穂はまた頬を赤くした。もはや怖いよりも別の感情があった。何もされていないのにこちらが恥ずかしいような気がして、里穂はごまかすように笑って言った。
「それを言われたら帰るしかないわ」
「そうしてくれ。タクシーを呼ぶよ。里穂が家につくまで起きて待ってるから、着いたら必ず連絡して。なんなら、乗ってる間ずっと電話してくれていてもいい」
「意外と心配性なのね」
「いや、タクシーだって何があるかわからないじゃん」
「だったらここで寝させてくれればいいのに」
里穂が可笑しそうに言うと、貴広は先ほどと同じ言葉を繰り返した。

帰りのタクシーの中で、宗一郎のベッドで寝る自分を里穂は思った。
自分が寝ていても宗一郎は何とも思わないのだろうなと。だから彼は里穂を平気でベッドで寝させて、里穂もまた、安心して彼のいる部屋で眠っているのだろう。それが健全だと思っていた。

でも、貴広の言葉を思い返してみて、どちらが健全で正しいのかを考えると、何か違和感があるような気もした。

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