Sister Cherry! ~事故った妹は今日も事故る~ 【シーズン2】
【戻った記憶、それから……】

39.此花桜子の復活、そして


【戻った記憶、それから……(1/3)】

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 39.此花桜子の復活、そして




 此花桜子は事故で記憶を失い、ほぼ1か月間をまるで別人の自分として生き、記憶が戻って“本当”の自分を取り戻した。


 記憶が戻ったことは、桜子にとってなかなか劇的な体験であったけれど、その後の生活の変化も劇的だったかと言えば、その限りではなかった。

 家族にとっても学校の友達にとっても、桜子自身にも、“記憶のない桜子”が過ごした1か月もまた確かに存在した”桜子の時間“だ。記憶を失う前と後、記憶を取り戻してからを途切れることなく積み重ねて、桜子の”今“は在る。

 記憶が戻ったからって、全く元通りの自分に戻ったわけではない。“記憶のない桜子”の記憶を覚えていて、その延長線上に“今”の自分がいる。短い間だったけど幾つもの経験をして、たくさんの思いがあって、自分の知らない自分からその全てを受け取って、“今”の此花桜子は生きている。生きていく。


(まあ……その“幾つもの経験とたくさんの思い”が超ヤバいんだけどさ……)



 **********

 桜子の記憶が戻ったのは、兄の遼太郎と二人きりの時だった。


 正確には、家のダイニングで記憶が戻りそうになり、眩暈を起こして倒れかけた桜子を、折良く帰宅した遼太郎が抱き留めた、長く感じられた一瞬の、“二人の桜子”の交代劇を、遼太郎が抱きしめていてくれたのだ。

 その後帰って来たおかーさんが、桜子の記憶が戻ったことを知り、泣いたあまりに人事不省のようになったことの方が、実はよっぽど大変で、
「お、おかーさん!」
「と、とりあえずソファに運ぶぞ」
劇的な記憶回復の衝撃の大半は、兄と妹から吹っ飛んだ。

 連絡を受けて急いで帰宅したらしいおとーさんが、
「良かった。あの日出掛けた桜子が、やっと本当に帰って来たんだな」
そう言って、桜子がたぶん初めて見る涙を目に浮かべた。
「お帰り、桜子」
「おとーさん!」
少し両親や兄に距離を置きつつある年頃だった“記憶を失う前の桜子”には、もう何年ぶりだろう、桜子はおとーさんに抱きついて泣いた。


 ようやく、おとーさんとおかーさんは、そうだと知っているからそう呼んでいる人ではなく、心からそう呼べる“両親”になった。
(大好き……でも、忘れてた時だって、ちゃんと大好きだった)
記憶をなくした直後は、桜子は頭の中で二人を“おとーさん”“おかーさん”とダブルクォーテーションマーク付きで呼んでいたが、ほどなく、知らない間に記号は消えていた。

 自分達を覚えていない桜子を、二人がちゃんと愛してくれていることが、わかっていたから……



 **********

 学校では誰よりもまず、親友の“サナ”こと平野早苗(ひらの・さなえ)と、“チー”こと都島千佳(みやこじま・ちか)に記憶が戻ったことを報告した。
「うおおおっ、マジか! やっとか、桜子!」
「やったあっ! 良かった、お帰りっ、桜子っ!」
二人は我がことのように喜んでくれ、涙ぐみ、桜子も泣きそうになった。

「でも、確かに、雰囲気やっぱ変わるわ。元の桜子だわ」
「えー? そーかなー?」
「うんうん、記憶のない時の桜子はー、『桜子とぉ、またお友達になってくれたら嬉しいな……///』って感じて、めっちゃエロ可愛かったもん」

 チーは胸の前で指を組み、口元に当てる通称“桜子ポーズ”で甘ったるい声真似をして、サナを吹き出させる。
「ちょおっと残念かもー」
「あのなあ、チー」
桜子はチーのことを睨み、
「言っとくけど記憶が戻ったってことは、チーの“あーんなこと”や“こーんなこと”を、ぜーんぶ思い出したってことなんだぜ?」
「うえっ?! やっぱ、記憶のない桜子の方がいい……」
思わぬ反撃に怯んだチーを、サナがまた笑った。


 そこへ、隣の席で話の聞こえた東小橋君が、
「まずは祝着至極に存じまする、その……」
おずおずと言って口ごもったのに、桜子はクスっと笑い、
「いつも通り、桜子殿でいいよ、アズマ君」

「記憶がない時に、アズマ君と仲良くなったこと、最初に優しくしてくれたことを、あたしはちゃんと覚えているよ」

 これを聞いた東小橋君は、ホッとしたように笑った。

 東小橋君は基本的武士言葉で話すヴィヴィットなオタク少年であるが、話してみるとこれがなかなか好人物で、桜子達とはこの1か月でずいぶん親しくなっていた。また女子と話すようになったからか、最近ちょっとシュッとしてきたようにも見える。
「桜子殿……」
だが己がスタイルは頑なに崩さない。
「アズマ君は、あたしの記憶がなくなってからの一人目の友達。今までのあたしからありがとう、これからのあたしもよろしくね、だよ」
オタの拙者には、桜子殿が元に戻れば消えてしまう泡沫(うたかた)の如き夢と思ってござったが……


 サナが二ッと笑い、腕組みして片目をつむる。
「つうか、アタシらとも仲良くなっただろー。案外薄情だな、アズマは」
「これはアズマ、打ち首ポケモンだよ」
「獄門だ、アホチカ」
ツッコまれてペロッと舌を出すチーに、東小橋君も笑う。
「平野殿に都島殿まで……拙者は果報者にござるな」
己がスタイルを貫くためか、東小橋君は何気に語彙が多い。

「不束者に(さぶら)えど、今後ともよろしく……」

「お前が言うと、何か“悪魔”みてーだな」
「やーい、アズマの外道:スライム-」
「さすがにヒド過ぎない? せめてジャックフロストとか」
「デブって言ってるじゃねーか、桜子も」


 女子達にいつもの調子でイジられ、チーに至っては「デブの忍者とかー」やら、時々に”肉丸君“呼ばわりされるけど、東小橋君にとっては、
(むしろ、ご褒美にござる)

 それさえも、おそらくは平穏な日々――……



 **********

 だが平穏な日々は、時にたやすく音を立てて崩れ去る。

 4時間目終わりのチャイムが鳴り、机の上にお弁当包みを出した桜子は、やって来たサナとチーの気配に顔を上げず呟いた。

「……――やっぱり、運命は避けられないのね」

 目を上げると、親友達の顔にはいつか見た冷たい笑みが張りついている。
「運命? 違うな、宿命ってやつだ、桜子ぉ」
「記憶が戻った時から、こうなることはわかっていたでしょお?」


 此花さんの記憶が戻ったことが広まり、休み時間の度に入れ代わり立ち代わり話し掛けに来ていたクラスメイト達も、このいつか見た光景に静まり返る。張り詰めた静寂の中、桜子が立ち上がる。
「行きましょう――……」
「素直だな。いい心掛けだ」
「聞かせてもらうよ、桜子。思い出したことの全てを」

 一陣の風があの日を再現するかのように桜子の髪をかき乱す。三人はまた揃って、教室を後にしようとする。


 と、今日はクラスの西中島君が突然ガタッと立ち上がり、
「オバセ君!」
東小橋君に向かって叫んだ。東小橋君は振り向きもせず首を振り、
「西の。手出し無用にござるぞ」

「これは、あの御三方だけで決着をつけねばならぬことにござれば」

 桜子が振り返り、散りゆく花のように儚く微笑んだ。
「ありがとう、アズマ君」
「桜子殿……御武運を」
そして桜子達は去り、クラスのみんなは確信を深めた。


 やっぱり此花さんは何か強大な力から、この学園の平和を守っている、と。


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