Sister Cherry! ~事故った妹は今日も事故る~ 【シーズン2】
40.桜子と“お兄ちゃん”のキモチ
【戻った記憶、それから……(2/3)】
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40.桜子と“お兄ちゃん”のキモチ
「それで、結局どーなのさー?」
前回揃って昼抜きになった経験を踏まえ、今日の桜子達は最初からお弁当を膝に乗せて話を始めていた。
「どうなのって何がー? あ、今日シャケ入ってる」
「テメー、この期に及んで心当たりがねえとは言わせねえぞ」
サナがウインナーを振りながら凄んだが、
「あたし、記憶力ないからー」
桜子はトボケた顔で、自虐ネタを振り返す。
「あたし、ごはん進むからシャケ好きなんだー。そう言えばシャケナ・ベイベーってイクラのことだよねー」
「往生際が悪いぞー、桜子」
「後ね、皮が好きなの」
「どこまでシャケで引っ張るつもりだよ?!」
桜子がため息をついて、
「で、何だっけ?」
箸を持つ手を膝に置いて小首を傾げると、
「「“お兄ちゃん”の話だよっ!」」
サナとチーが異口同音に叫んだ。桜子はため息を追加する。
わかってるよ、わかってるからこそ……
その話は避けたかったんだけどなー……
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桜子は“お兄ちゃん”こと此花遼太郎に恋をしている。言うまでもなく、“お兄ちゃん”は血のつながった実の“お兄ちゃん”である。
自分にまつわる一切の記憶をなくした桜子は、もちろん兄・遼太郎のことも完全に忘れて、“初対面の知らないカッコイイ男の子”として“お兄ちゃん”にひと目惚れをしてしまった。
記憶のない桜子には、遼太郎さんに恋をする“女の子”と、お兄ちゃんが大好きだった幼い“妹”の二つの側面があって、遼太郎の前で代わる代わる顔を出した。
記憶と心の間で揺れながら、桜子は遼太郎の何げない態度や仕草にドキドキし、ゆえに“お兄ちゃん”をことあるごとにドギマギさせもした。
思春期になって距離の開いていた二人は、桜子が記憶を失ったことで、今はまた昔のように仲良くしている。お互いがお互いを、“大好きな男の子”と“可愛い妹”と認識しているという、とんでもないズレを抱えながら。
1ヶ月という短い時間だったけど、たくさんの小さな出来事があって、桜子と遼太郎はたぶんそれまで1年間より、多くの時間を一緒に過ごした。それは“記憶を失くした桜子”の大切で幸せな記憶として、今の桜子の中に受け継がれている。
そして――……
記憶を失くした桜子は、自分に記憶が戻る時、“お兄ちゃん”への恋心は消えてなくなることを予感し、怖れもしていた。“お兄ちゃん”を思い出して、実の兄だということを実感すれば、もう遼太郎を好きでいられはしないだろう、と。
寂しいけど、それでいいのかもしれない。
それが正しいことなのだけど、やっぱり寂しかった。
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が、良かれ悪しかれ、その予感は盛大に裏切られた。
(い、いいワケないだろー! “悪しかれ”だよ、“悪しかれ”!)
思春期特有の血縁者への嫌悪感を、一時的に忘れてみて、桜子は今でも “お兄ちゃん”としての遼太郎が本当はキライじゃないと認めざるを得なかった。ただちょっと照れくさくて意地を張ってただけ……そう気づくと、むしろ子どもっぽくも思える。
(屁の突っ張りをへし折られて、何の意地が張れるって言うんだよ……)
問題は、“女の子”としての“好き”、恋愛感情もまた“旧桜子”がガッツリと残していったことだ。
“記憶のない桜子”が学校で過ごした時間があって、サナ達やアズマ君との“今”があるように、遼太郎を好きだった時間もやっぱり、“今”の桜子を作っている。
恐ろしいことに“旧桜子”が残した恋心は、思い出したはずの遼太郎が実の兄であるという事実も実感も、あっさりと凌駕した。
(恋愛のパラメータ、バグってんじゃないのか、“旧桜子”……と言うか、あたし半分旧桜子“|旧桜子”に乗っ取られてない?)
それも桜子、これも桜子。“妹”も“女の子”も、みーんな“桜子“……
つまり事態は、思いっきり悪化している。
初対面の知らないお兄さんとして出会ったなら、恋をしても不思議じゃない。実の兄という実感が持てないなら、好きでいるのはどうしようもない。けど、何もかも思い出して、それでも“りょーにぃ”が恋愛的に好きなら……
(完全にヘンタイです、ありがとうございました。殺してくれ。もっかい記憶を消してくれ……)
今の桜子は正真正銘純然たる“兄ラヴ妹”、記憶をなくす事故からこちら、ずっとやらかし続けてる、“事故る妹”なのだった……たぶん、今日も明日も……
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その遼太郎への秘密の恋愛感情は、ひょんなことから、サナとチーにはバレれてしまっている。記憶がない桜子の心の在り様を、ふたりはとりあえず理解してくれて、応援もしてくれているんだけど……
「記憶が戻って、“桜子兄ちゃん”のことはどう思ってるのさ?」
そりゃあ、そこをツッコむのは当然のことだろう。
桜子はシャケをほぐし、ごはんと一緒に口に入れて、もぐもぐ、飲み込んだ。
「うん……りょーにぃのことは、今も好きだよ……妹としても」
「……“も”……」
サナとチーは顔を見合わせた。記憶がない時に、桜子が実の兄が好きでもある意味しょうがないと思ったし、無責任に応援もしたけれど、今でも異性として好きだと言われると、ちょっとどう受け止めていいのか複雑だ。
桜子はそんな二人の反応に、またため息をついて、
「そりゃ、りょーにぃのこと好きなんて、キモチワルイって気持ちもあるよ」
そう言ったが、これは嘘だった。血がつながっているという障害さえなければ、桜子はきっともう一直線にこの恋に突き進んでる。
「前はさ、二人の前でよくりょーにぃがウザいとか、言ってたじゃない?」
記憶をなくす前の桜子にとって遼太郎は、髪型にも服装にも気を遣わないダサいオタクで、デリカシーもなくて、正直鬱陶しいダメ兄……だと思っていた。
「それはさ、記憶がない間にそういう気持ちもなくなったから、今は、ちっさかった頃みたいにお兄ちゃんのことが好きって、普通に思えるんだよね」
桜子は二人の反応を見るのが怖くて、お弁当に目を落とした。
「でも、男の子として好きな気持ちも、何か、残ってるっぽい……」
“妹”としての好きと“女の子”としての好き。その二つが実は同じものではないのかと、自分の心を見つめ直すと桜子にはそう思えるのだ。
記憶を失くして“初めて会った”時、桜子は遼太郎を無条件で好きになった。
それは本当はひと目惚れではなくて、頭では忘れていても心のどこかで遼太郎だとわかって、“妹”として“お兄ちゃん” に抱いた“好き”を、恋愛感情と誤認識したのがそもそもの始まりだったとしたらどうだろう。
思い返せば桜子の遼太郎との“出会い”は、病院で転倒し掛けたところを抱き留めてもらったことに始まる。
(そりゃあ、“女の子”としてもカッコイイと思うけど……)
あれは、優しくていつも助けてくれる”お兄ちゃん“への”妹“として”好き“が、桜子の中に溢れたのだったら……
だとしたら、それは“恋”なんかじゃなくて、“憧れ”なんだ。でも……
あたしは“恋”だと思った。そう思って、私の心は動き出してしまった。
“妹としての好き“と“女の子としての好き“が同じひとつの感情、そう自己分析すると、
(こ、これは、手強いぞ……)
遼太郎がお兄ちゃんだと思い出しても、消えるわけがないのだ。そして「なーんだ、勘違いなのねー」で納得できるほど、人の心は単純にはできていない。
どうせ恋なんて所詮、だいたい勘違いから始まるようなものなのだから。