離婚するはずだったのに、ホテル王は剥き出しの愛妻欲で攻めたてる
 優しく温和な人で、私や郁実も幼い頃からよく知っていた。

 そうか。中谷のおじさんが。郁実も、私が入れるように頼んでくれたんだ。

 八年以上の月日が流れて足を踏み入れた店内は、椅子やテーブルなど物はなくなっているけれど変わっていない。

 そして、八年以上も空き店舗になっていたはずなのにほこりひとつなかった。

 不思議に思い私が壁に備えつけられていた棚を撫でると、郁実が「お前が来るって言ったら、中谷のおじさんが掃除してくれたらしい」とつぶやいた。

「そうなんだ……」

 シミの位置まで覚えている壁に触れ、ありがたさに打たれながら過ぎ去った日に思いを馳せる。奥の厨房へ続く入り口にかけられたのれんをくぐっていた父のうしろ姿が鮮明に目に浮かんだ。

 思わず泣きそうになる私のもとに、郁実がやって来る。
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