結婚した次の日に同盟国の人質にされました!
『ハイネ様、人の悪いとこばかりに目を向けてはなりません。良い所を探し、伸ばし、この国の未来を担う人財とするのです。それが皇帝となる貴方様の何よりの宝となりましょう』

 丸っこい身体の女性は優しく微笑む。
 ハイネの母は3人目のコルト皇子を出産してすぐに亡くなった。代わりにハイネを育ててくれたのは、乳母のカロリーネだった。彼女は反社会的活動を行っていたメンバーと見做され、皇帝の命により殺された。


 バトルアクスにより首を切られた彼女の血で、ハイネの身体は真っ赤に染まった。

 崩れ落ちる彼女の身体も、震える自らの手も、返り血を浴びた騎士も、全てが赤く染まる。

『カロリーネ……カロリーネ……!』



「……っ!」

 ハイネは全身を襲う寒気に飛び起きた。
 薄明るい部屋の中は、昨夜寝たのと同じ場所で、今見ていた光景がただの過去の記憶であることに気付く。

「何だ……夢か……」

 バクバクと五月蠅く音を立てる胸を抑え、落ち着かせる。

 ハイネが居る場所はフリュセンの名士の家だ。丸ごと借り受け、ハイネと騎士団の各部隊の団長クラスで使用している。
 質素ながらもそこそこに居心地のいいこの家は気に入っているのだが、状況があまり芳しくなかった。序盤はブラウベルク帝国有利の状態で軍事境界線を越え、ハーターシュタイン最北の街の城壁目前まで迫っていたのだが、帝国側の騎士団員が数名異様な身体状態になり、それへの対処で混乱が続いている。かれこれ1週間くらい停滞しているような状況だ。

 原因が掴み切れず、ハイネの苛立ちは限界を迎えそうだった。

(クソ……、何でこんなに上手くいかない。簡単な任務のはずだったのに)

 唇を噛みしめ再びベッドに倒れ込むと、視界の端に白い紙が見えた。
 それに手を伸ばし、掴む。
 紙は便せんで、イラストが描かれている。台形の容器から生えた芽らしきもの。これはハイネが以前押し付けたラナンキュラスの状況らしい。

 大学院生活と、そこで研究していきたい事、トマトとラナンキュラスの事、ハイネの健康に気遣う無難な言葉。最後に記されている名前はジル・クライネルト――ハイネがジルの入試の際に適当に考えた名字だ。

(あの女、普通の手紙にまでこの名前を使ってるとはな)

 ハイネは思わず吹き出してしまう。
 遠征に来てから、ジルと文通をしていて、彼女からは10日に一度の頻度で手紙が届く。
 命の危険に晒される中で、のんびりとした内容の手紙を読むのを少し楽しみにしている自分がいた。
 最初は乳母の体形にあまりに似ているため、絡んだりしていたのだが、ジルにはジルの人格があり、関わってみるとそこそこ興味深い人間だった。

 ハイネはボンヤリと数枚の便せんに描かれたイラストを観ながらまどろむが、廊下から騒々しい足音が聞こえてきたため、表情を引き締め便せんを棚の上に戻す。ベッドから出て上着を羽織るとすぐに蹴破る勢いで扉が開く。

「ハイネ様!」

 転がる様に部屋に入ってきたのは、想像通りバシリーだった。

「朝からうっとおしいな」

「申し訳ございません! ですが……、また出たのです」

「もしかしてまたアレか?」

「ええ……、一緒に来ていただいても?」

「はぁ……すぐ着替える」

 手早く身支度を整え、バシリーと共に外に出て行くと、騎士団の野営地方向から男の叫び声が聞こえてくる。その声に苦々しく思うも、歩みを進める。
 陽が差し込み、世界が明るくなっていくというのに、ハイネの心の内は暗雲がたちこめる。

 野営地に辿り着くと、既に人だかりが出来ていた。その中央に叫びの主がいる様だ。バシリーが人の壁を崩していく。

「ハイネ様を呼んでまいりました!」

「ハイネ殿! ご覧ください!」

 隊長クラスの男が焦りの表情でハイネを仰ぎ見る。
 彼のすぐ傍には苦悶の表情で転げまわる若い騎士の姿があった。その身体は縄できつく縛り上げられている。

「……いつからこの症状が出ている?」

「つい1時間前です……。幻覚が見えているらしく、我々が敵だと、仲間に襲い掛かっていて……、縄で縛ったのですが」

「なるほど……、この周辺に怪しい者はみかけなかったか?」
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