金曜日の恋人〜花屋の彼と薔薇になれない私〜
「鈍いわねぇ、美香さんてば。女が綺麗になる理由なんて、ひとつ。恋愛に決まってじゃない」
「え……それってもしかして」

 困惑している美香を無視して、里帆子はクスクスと笑った。

「ご主人とうまくいってるってことでしょ。羨ましいわぁ」

 里帆子は芳乃に顔を寄せると、芳乃にしか聞こえないようにそっとささやいた。

「と~っても素敵だものね、芳乃さんのご主人」

 背筋がぞわりと粟立った。芳乃はぱっと顔を上げて、里帆子を見る。長い睫毛に縁取られた彼女の双眸は、なにも映してはいなかった。

 目の前にいるこの女性(ひと)は誰なんだろう。理知的で華やかで、気品にあふれた里帆子はどこへ行ってしまったのか。
 今、芳乃が抱いている感情は怒りでも憎しみでもない。恐怖だった。得体の知れぬものに対する原始的な恐怖。

 彼女もまた、芳乃と同じく空っぽなのだろうか。
 
「芳乃さん。もしかしてスーパーに寄る?」

 店を出て、ひとりだけ別方向へ歩き出した芳乃を美香が追いかけてきた。

「うん。川の向こうのスーパーに行くつもり。駅のところは品揃えが悪いし」

 芳乃たちの住むタワマンは駅の目の前に建っており、駅ビルにはテナントとしてスーパーも出店している。だが、小さな店で品揃えが中途半端なのだ。
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