河童
「三本さんと婚約する前に、いろいろとお断りしてしまいましたし、会社もこうなってしまったので、もう良縁は望めません。でもいいのです。秀晴さまでないなら、誰だって同じ。あとは、暴力を振るうひとでないことを祈ります」
いつも素直な気持ちを言葉にしていた薔子さんは、ぼかすような話し方を身につけていた。
「良縁は望めない」恐らく実情はもっとひどい。
良くて裕福な家の後妻。
もしかしたら正妻は難しいかもしれない。
「迎えはいつ来るのですか?」
薔子さんは微笑んで言った。
「どうせ、家に連絡したのですよね?」
この家に電話はないが、すぐ隣の大家さんの家にはある。
餅を取りに行ったついでに抜け出して、薔子さんがここにいることは伝えてあった。
「日暮れ前には来るそうなので、そろそろ」
うなずいて薔子さんは立ち上がった。
「お邪魔いたしました」
冬至を過ぎたばかりの今は、日暮れが早い。
雪雲も手伝って、闇の気配が迫っていた。
もう少し時間をくれよ、と太陽と薔子さんを恨む。
「仕事納めのとき、校長から正職員にならないか、と打診がありました。今の生活が気楽だったので、返事は年明けまで待ってもらいましたが、受けようと思います」
縁側でこちらを振り返る薔子さんは、まったくの影になっていた。
「他の借家の管理を手伝う代わりに、ここの家賃はかなりまけてもらっていますし、しょうもない囲み記事も可能な限り回してもらいます。そうしたら、私とあと一人くらいは生活できるでしょう」
「秀晴さま、勘違いなさらないでください」
影は凛と立っていた。
ずいぶん背が伸びたと、改めて思う。
「わたしはあなたに負担をかけたくないのです。わたしのせいで、あなたの人生を歪めてしまいました。きっとお好きな方もいらしたでしょうに。今日こうしてお会いできただけで十分。これ以上、我が儘は言えません」
薔子さんは縁側を降り、「お世話になりました」と頭を下げた。
その頭にも肩にも雪が降りかかる。
外の冷気はどんどん入ってくるし、寒くて寒くて仕方ない。