純潔花嫁―無垢な新妻は冷徹社長に一生分の愛を刻まれる―

 睡の下ろした長い黒髪が、月の明かりでほんのりきらめいている。時雨は、花魁のときよりもやけに大人びて見える彼女の姿を一瞥し、少々気になっていたことを口にする。


「いくら父親の元から逃げ出したかったとはいえ、遊郭に入って後悔しなかったのか? どんな場所かはすぐに気づいただろう」


 問いかけられ、睡は月を見上げてしばし思いを巡らせる。あの頃はどんな心境だっただろうか。


「……当時の私は、ご飯が食べられて、仲間と笑って話せるだけで天国のようだったんです。あのまま暮らしていたのでは絶対に触れられなかった芸道をたくさん学べましたし」


 様々な思い出が過ぎり、楽しいことも多かったなと睡の口元が緩む。父親に囚われた生活より、遊郭にいたほうが確実に安全で充実していた。


「遊女がどんなことをしているのかはっきり自覚してからも、自分の生きる道はそれしかないと思えば受け入れられました。父が嫌なだけで、男性が苦手なわけではないですしね」


 もしも義父の影響で男嫌いになっていたら、それこそお歯黒どぶに身を投げていたかもしれない。幸い、遊郭に来る男性と接しても、嫌悪感を抱くことはなかった。
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