あまいお菓子にコルセットはいかが?
6.終わりとはじまり
「こんにちは、コレット」
「ごきげんよう、フランシス様」

 城の庭園で休憩をとっていたコレットは、フランシスの登場に内心慌てた。

 今日は軍の受付係に差し入れを渡すだけに留め、すぐに中庭へ向かって散歩という名の運動していたのである。
 大分歩数が稼げたところで、やっとミアから休憩のお許しが出てベンチでゆっくりと寛いでいたところであった。

「受付係から連絡を貰ってすぐにきたのですが、探すのに手間取ってしまいました」

「そ、そうなのですね。ほほほほ」

 多分だが、互いにぐるぐると庭を回り続けていたのだろう。会えるわけがなかった。

「実は、第二王女とのお茶会のお礼を伝えたくて、コレットの登城をずっと待っていたのですよ」

「お礼、ですか?」

「ええ、第二妃から、コレットを紹介した我がジェラト公爵家に感謝状が届くほど喜ばれまして」

「か、感謝状? そ、それは、ようございましたね」

 フランシスの話を聞きながら、コレットの心臓はバクバクと破裂しそうなほどに鼓動が早くなっていた。

 あのお茶会の翌日、第二王女レティシアは数日間寝込んだのである。
 彼女の体調不良の原因にお茶会の時間が異常に長かったことが上がったらしいが、同席していた侍女のセリアが上手いこと話を逸らし、回復したレティシアが、コレットとカロリーヌのことを気に入ったと話してくれたことで嫌疑が晴れた――という話を先日レティシア本人から聞いたばかりだった。

(あのお茶会のせいで知恵熱がでたのだし、周囲の判断は正しいわ。不敬もいいところだったのよ。私はさらに恥を上塗りするところだったのだわ)

 ことの重大さに蒼白になったのはコレットだけで、カロリーヌとレティシアは楽しそうに話に花を咲かせるばかりなのだ。その傍らには庇ってくれた侍女のセリアが、涙ぐみながら立っているのである。

「私ともう一人の友人とでお会いしたのですが、運良く話に花が咲きましたから。お力になれてよかったですわ」

「また、そのような謙遜を。感謝状だけでは足りないと、第二妃様直々にお声がけまであったのですよ」

「お、お声がけまで?!」

「ええ。全てを拒絶していた第二王女が、急に年頃の令嬢と同じようにドレスのデザインに興味を持って布地や装飾品を強請られたと。お茶会で仲良くなった令嬢に良い影響を受けることができて、いくら感謝しても足りないと涙ぐんでいましたよ」

「っ!――そうなのですね。同席した友人は、私のドレスのデザインを引き受けてくれるほどの人物でしたから、興味を惹くことができたのでしょう。本当によろしゅうございましたね」

 レティシアの周囲では、そのように評価がされているのかと、コレットは眩暈がした。
 あの二人のドレス製作は、どう見ても普通の令嬢とは異なっている。あらゆる布地見本を自分達で作成し、デザイン画を山ほど作って色の掛け合わせを表にして、どれがいいかを二人で熱く討論(ディスカッション)しているのだ。普通の令嬢は、数枚のデザインからお薦めを選ぶ程度だというのに。

(ああ、どうか周囲にバレないで。レティシア様も、カロリーヌの影響を受けすぎないでちょうだい)

 止まらない二人は、もしかしたら掛け合わせたらマズイ組み合わせなのかもしれない。これからもカロリーヌとレティシアの茶会には必ず同席しようと、コレットは心に誓う。

「これからも第二王女のことを、よろしくお願いします」

「こちらこそ、可愛らしい友人と出会える機会を頂けて、感謝しております」

「あなたは本当に謙虚な方ですね。――それで、この件のお礼をしなければと思いまして、今日は声をかけたのですよ」

「と、とんでもないことです。お礼の必要などありませんわ」

 一歩間違えば、不敬でジェラト公爵家に迷惑をかけた可能性がある。しかも現在進行形で危険な香りもしているのだ。
 慌てて辞退を申し出たが、フランシスも引かなかった。

「そう言わずに。この時期ならオペラなどいかがです? 丁度チケットが我が家にあるのですよ」

「……」

「オペラに興味が無ければ、そうですね、装飾品を送らせていただいてもよろしいですか?」

「……」

「……失礼、すこし重たすぎましたね。お好きな花やお菓子(ドルチェ)をお聞きしても?」

 まるで何かに耐えるように黙ってしまったコレットに、フランシスは失敗したのだと悟る。

「もし、気に障ったなら謝ります。ですが――」

「いいえ。フランシス様が謝られることなど何もございません。私は可愛らしい友人ができて、それだけで十分です。お気持ちだけ頂戴いたします」

 矢継ぎ早にそれだけ言うと、コレットは用事があることを理由にその場を立ち去った。伏せられた目は、一度もフランシスを見ることはなく、その姿はなにか思い詰めているように見えたのだった。

 ◇◆◇◆

 アンリがシルフォン家の邸に戻ると、家人が忙しそうに荷物を運び出していた。アンリの帰宅に気付いた執事は慌てて出迎える。

「アンリ様、おかえりなさいませ。お迎えできずに申し訳ありません」

「いや、前触れなく急に帰ったから気にしないでくれ。それより一体何が始まったんだい?」

「コレット様が、お戻りになられてから荷物の整理を始められたのです」

「荷物の……整理?」

 アンリの中で嫌な予感がムクムクと膨れ上がる。日中フランシスにコレットの様子がおかしかったと相談を受けて、慌てて帰宅したのである。
 階段を駆け上がりコレットの部屋へ乗り込むと、既にほとんどの荷物が運び出された様子で、部屋はすっからかんになっていた。

「……姉さん、何しているの? ――まさか、荷物を処分して、修道院にでも入る気なの?」

 そのような事件がコレットの周囲で起きることを一番恐れていたアンリは、蒼白な面持ちでコレットに近づいていく。

「あら、アンリ。おかえりなさい。――大丈夫?」

 朗らかな声とは対照的に、振り返ったコレットの目は真っ赤で、アンリの嫌な想像は極限に振り切れる。

「もしかして、あの男が現れたの?」

「あの男? ――アンリ、何を怒っているの?」

「何があったの? ちゃんと教えてよ」

 そう言うと、アンリはコレットの肩を抱き寄せる。アンリの切迫した雰囲気に戸惑いながらコレットはその背中に手を回した。

「えっとね、思い出の品を整理していたの」

「思い出の、品?」

 アンリがコレットから体を離し、その顔色を窺うと、やはり目は赤いがどこかスッキリした表情を浮かべていた。

「ジルベール様との七年間の思い出の品をね、全て処分したの。部屋がガラガラになってびっくりしちゃったわ」

 昼間、フランシスにオペラを誘われたとき、コレットの脳裏には初めてオペラを見た記憶が蘇った。
 隣にはまだ少年姿のジルベールが一緒に居た。手をつないで会場に入り、幕が上がるまで二人でパンフレットを見ながら会話した。見終わった後は近くのカフェテリアに寄り二人で感想を語り合ったのだ。次はオペラグラスを持っていきたいというと、翌日にはオペラグラスのプレゼントが届いたのだ。

 城下町のお忍びデートも、舞踏会も、演劇も、王都の娯楽施設は、どこもジルベールが連れて行ってくれた場所ばかりだ。
 本棚にあった色あせたスクラップブックからは、デートのたびに持ち帰った半券やパンフレットの切り抜きが貼ってあった。もらった花束で作った押し花の栞もたくさん出てきた。
 ジュエリーボックスに入っていたアクセサリーは、ほとんどがジルベールから贈られたもので。ドレスはあまり贈られたことはなかったのだが、カロリーヌがアクセサリーに合わせてデザインしてくれたものがクロゼットいっぱいにとってある。

 何を贈られても、誰とどこへ出かけても、コレットの中でジルベールとの思い出が呼び覚まされる。

 ――ちゃんと、終わりにしなければ

 あの時、フランシスの言葉で、そう思ったのだ。そうしなければ、前に進むことができない、と。
 ひとつひとつ片付けながら、ジルベールとの思い出を手放して、やっとほとんどの荷物を処分し終えたところだった。

「なんだ、てっきり事件に巻き込まれたのかと……」

「私の中では大事件よ? なんにもなくなっちゃったし、気持ちはまだ晴れないもの」

 まだ少しだけ、心の奥がきしむのだ。きっと乗り越えてみせるけど、まだ少しだけ時間がかかりそうだった。

「僕も手伝うよ。この箱はもう運び出していいの?」

「ええ。お願いするわ」

 すべての荷物を片付け終えると、コレットとアンリはサロンで休憩をとる。疲れたのでお菓子(ドルチェ)を所望したが、すぐに夕食だから我慢するようにミアに断られてしまった。
 仕方ないので、淹れてもらった紅茶のアプリコットの香りで気持ちを落ち着かせる。

「明日からはどう過ごすの?」

「そうね、リハビリに恋愛小説でも読もうかと思っているの。あとカロリーヌとレティシア様のお茶会は絶対参加するわ」

「そうだね。ゆっくり気持ちの整理をしたほうがいい。ところで読む小説はもうあるの? どこから持ってきたもの?」

 お気に入りの小説たちは、ジルベールとの逢瀬の合間に自分を重ねて読み込んだせいで、今更手に取ることができずに先ほど全てを手放した。新しいものを買うのも勿体ない気がしたので適当に書庫から持ち出した本をアンリに渡す。

「私の蔵書は全て処分したから、お母様の蔵書を借りてきたの」

「姉さん、母さんの蔵書は、ほとんどが悲恋か道ならない恋の話だから、新しい本を購入したほうが良いよ」

「ええ?! そうなの?」

 母親の意外な趣味に、びっくりしたコレットであった。
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