あまいお菓子にコルセットはいかが?
 フランシスの見つめる人物の元へ、レティシアが早足で出迎えに行く。
 はしゃいで挨拶を済ませたレティシアにせがまれて、内緒話を聞くために耳を傾ける彼女だけが視界の中でどこまでも鮮明に見えた。周囲の喧騒も、どこか遠くでざわつくだけで、何も入ってこなかった。

 遠目でも直ぐにコレットを見つけることができたのは、決してドレスが派手だからではない――と確信する。

 本当は直ぐにでもこの場を離れ、コレットとの話を進めたかった。――が、立場上そういう訳にはいかないのだ。

 レティシアを再びダンスホールに連れ戻し、向かい合って始まりの音を待つ。

 礼をして手をとり、楽団の指揮者から合図を受け、音に合わせて初めの一歩を滑り出した。
 小声で数を数えながら、ステップをふむレティシアの姿は、一応は見られるものにはなっている。たまに間違えたり、フランシスの足を踏むこともあるが、上手くかわしながら、少し浮かせて続きを促していく。


 他国に長く過ごしたせいで自国の文化に慣れていない第二王女は、ダンスも全く踊れなかった。そういった事情を一切考慮せずに、お披露目会を告知してしまった国王と第二妃は、事実を確認すると慌てふためいた。
 毎度の如くジェラト公爵家に打診があり、短期間でなんとか一曲だけ踊れるようにしてほしいと依頼が入る。ジェラト公爵はフランシスを差し出し、練習から付き合うことで、なんとか当日を乗り切る算段を付けたのだった。

(確かに私以外に頼んだら、こういったフォローは望めなかっただろうな)

 場数を踏んでいるフランシスは臨機応変に対応ができる。レティシアと年齢の近い公爵子息は数人いるが、体格的に丁度いいだけで彼女と上手く踊り通すのは難しかっただろう。

(不幸中の幸いというか、天の采配というか。仕方のないことだったとはいえ、少し考えが甘かったな)

 最初から最後まで王家を助ける意図しかないはずの行為は、貴族達の噂話で、恰好の餌食となっていたらしい。

 コレットから、お披露目会のファーストダンスのパートナーを務めるのか聞かれ、やんわりとした拒絶を受けた。
 嫌な予感がして周囲を探れば、フランシスがレティシアの婚約者最有力候補になっていることが分かったのだ。

(多分全てを聞いていて、あの態度だったのだろうな。申し訳ないことをしてしまった)

 謝りたいし、話がしたい。なんなら、もう少し仲を進展させたいと思っていたフランシスはこの件を非常に悔やんでいた。
 それでも、今日は話をしようと約束を取り付けて、押しかけたい衝動を抑えて指折り待ち続けていたのである。

 踊るのに必死のレティシアの視線が、とある方向に向くことに気付いたフランシスは、その先を見る。

 すぐにコレットが立っているのが分かり、苦笑した。

(コレットは殿下に懐かれているのだな。――これだけ大っぴらに懐ける殿下が羨ましい)

 後半の思考のおかしさに、ちょっとだけ驚く。

 進行方向が変われば視界からコレットが消える。
 再びそちらを向いたときに、フランシスは彼女の横に立つ人物を見て衝撃が走った。

(っ! ジルベール、一体どうやって入った? いや、ゴルディバ侯爵家なら招待状は届くか。アンリはお披露目会の護衛に駆り出されているのだったか。一緒に来た友人は――見当たらない)

 どうやらジルベールとコレットは、何か話しているらしく、時折コレットが彼を見上げているのがわかる。

(ああ、くそっ!)

 こみ上げてくる言いようのない感情が、早くあそこに向かえとせっついてくる。
 それを押し留める理性は、ジェラト公爵家や、第二王女のお披露目の場であること、フランシスの立場などを訴える。

 あれから目線は可能な限りコレットに注がれる。彼女がこちらを向いてくれるのを確認しながら、ファーストダンスが早く終わることだけを念じていた。

 視界の端で絶えず追いかけていたコレットが、急に動き出す。回転して戻ると彼女が会場から出ていくのが見える。その後ろを、ジルベールがついていくのを捉えて、眩暈がした。

 ――合わせるんじゃなかった

 一度踏み込んだとき、彼女が深く傷ついていることを知って時期を待つことにした。
 舞踏会で顔を合わせて、さりげなく話を聞き出して。彼女が立ち直っていくのを見守り続けた。
 ファーストダンスの話を切り出したコレットが、やんわりと距離を取ったことで、好かれていることを確信して。

 まだ間に合うからと、今日という約束の日を待ったというのに。

 ――こんなことなら、押し切ってしまえばよかった

 七年越しの婚約者に気持ちが戻ったとて、それを拒否できる立場に、さっさと名乗り出ておけばよかった。
 どうしようもないほどに、心がかき乱される。怒りにも似た焦燥感に駆られて、あと少しで理性は擦り切れそうだった。

 今すぐ追いかけたい衝動を抑えて、もうすぐフィナーレを迎える曲に合わせステップを踏む。


(ああ、早く終わってくれ。その後の挨拶が終えるまでだ。早くしないと――)

「どうかなさったのですか?」

 レティシアが、フランシスの強張った表情に疑問を抱く。雰囲気も、練習のときや今日踊り始めたときとも全く異なり、その怒気を肌で感じ、少し怖いとさえ思っていた。




 五公の中でも南領を治めるジェラト公爵家は『王家の求めに常日頃から柔軟に応じる』姿勢の家であり、フランシスもそれを受け継いできた。今までフランシスが婚約者を持たなかったのは、可能性が低くても年頃の近い王女の嫁ぎ先が決まるまでは、何があるか分からないという父親の方針に従っていたからだった。
 今後、王家が王女の伴侶としてフランシスを指名してきたのなら、ジェラト公爵は応じる姿勢をとるだろう。今までなら、そういったことに何も抵抗せずに受け入れてきたのだが――

(――たとえ王命が下ったとしても、素直に頷ける自信は、ないな)

 南領公爵家は、その全てを柔軟に合わせることで有名だが、反面、稀にこだわるものを見出すとテコでも動かぬほどの執着をみせる性質でもあった。





 フランシスの表情の変化にレティシアが訝しめば、彼は静かに、けれどはっきりと今しがた自覚した気持ちを口にする。

「殿下、もし今後、殿下との婚約話が上がったとしても、私は辞退いたしますので、どうかご了承ください」

 それを聞き、レティシアの目は大きく見開かれた。

「――それは、どういうことですか?」

 曲が終わり、互いに体を離して距離を取る。
 周囲に向かい礼を取る二人に、会場からは大きな拍手が鳴り響いていた。
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