あまいお菓子にコルセットはいかが?
トルテ国は、通称『五公』と呼ばれる五つの公爵家が、中央、東領、西領、南領、北領のそれぞれの領を治め、配下に侯爵、伯爵、辺境伯、子爵、男爵が従事し国の管理運営をしている。
南領を管轄するジェラト公爵家主催の舞踏会で子息のフランシスが到着したとあれば、周囲は挨拶のタイミング計るべく、その様子を常に窺っていた。
フランシス本人も、ブルネットにアイスブルーの柔和な瞳に長身でがっしりとした体格の持ち主であり、立っているだけで周囲を惹きつける存在感を放つため、視線を集める。
その隣に立つ見慣れない金髪の美しい男女も話題をよび、周囲は彼らが何処の誰なのかを探り合っていた。ただ、シルフォン家は北領に従事する貴族であり、ジェラト公爵家に縁のある貴族とほとんど面識がないのだった。
「フランシス様、弟のアンリがとてもお世話になったと聞きました。本当にありがとうございます」
コレットはありったけの言葉を尽くして、フランシスにお礼を述べていた。
「いいえ、仕事として当然のことをしただけで。結果は全てアンリの努力の賜物ですから。それに彼にはやる気がありました。だから私も協力したいと思えたんです。全て彼の人柄ですよ」
「はい。昔からアンリは努力家で正義感が強くて。自慢の弟なのです。それを理解していただける上官に巡り合えて、アンリは幸せ者です。フランシス様のご懇情は一生忘れませんわ」
「まいったな。いえ、お言葉は嬉しい限りです。ありがとう、コレット」
フランシスとコレットの会話に、アンリは赤面し通しだった。
何度か話題を変えようと割って入ったのだが、コレットは一度話し出すと止まらない節があり、アンリは会話からはじき出された。
彼女はとにかくフランシスに感謝を述べることに夢中になっているようだった。
「姉さん、あまり上官を足止めしてもいけないから、このあたりで、ね」
「まぁ、そうね。失礼いたしました」
何度目かの制止で、コレットは話を切り上げた。
二人の仲の良さが伺える雰囲気に、フランシスは思わず笑みがこぼれる。
「アンリから話は聞いていましたが、想像以上に華やかで美しい姉君ですね。お知り合いになれて光栄です」
「上官、姉には七年越しの婚約者がいますから」
「そうなのか。それは残念」
「まぁ、お上手ですね。ふふふ、ありがとうございます」
軽い冗談をかわしながら、会話が途切れた時だった。
「失礼。フランシス様に挨拶をさせて頂いてもよろしいでしょうか? 紹介したい方もいますの」
「ああ、久しぶりだなフルール。隣の方は、確かゴルディバ侯爵家のジルベール殿か。初めまして」
「はい。お初にお目にかかります。以後お見知りおきを」
ちょうどフランシスの正面、向かい合って立ったコレットとアンリの背後から、ジルベールが声をかけたのだった。
(ま、まさか、今日ここでジル様と会うなんて!!!)
突然、最愛の婚約者の声が聞こえてきて、コレットは驚いた。この舞踏会に参加する話は聞いていなかったのでなおさらである。
さらに心の準備が出来ていないコレットは、振り返ることができずアンリの腕に掴まったままに硬直する。
「今日はフランシス様に、嬉しいご報告がありますの。わたくし良いご縁がありまして、この方と近々婚約することになったのです!」
振り返ったアンリがフランシスの前から横に移動する。流れでコレットはジルベールから隠れるように向きを変えた。
視界には彼にエスコートされた令嬢の姿が目に入る。絡められた腕は親密なほどに距離が近く、それを目にしたコレットの全身が急激に冷えていき、思わず空いている手で口元を覆う。
「フルール。まだ何も話が進んでいないのだから、このような場所で口にするものではないよ」
ジルベールがやんわりと注意するが、フルールはクスクスと笑うだけだ。ジルベールもあまり本気で止める気はないようだった。
「ジル様の婚約解消が済めば直ぐにでも発表になりますから。カヌレア家が従事する南領の方々には早めにご紹介していますの。ついでに近しい方には、特別にお話していましてよ」
フルールの発言を、ジルベールも今度は止めようとしなかった。否定もしないので本当なのだろう。
これにより、コレットは一切の思考が遮断された。そんな話は知らない。聞いていない、と。
「失礼だが、まだ先の婚約者殿との婚約解消が済んでいないのなら、みだりに口にするのはどうかと。ジルベール殿も、何事も手順はちゃんとした方がいいだろう」
フランシスの口調が強めに変わり、二人の立ち振る舞いに苦言を呈する。
舞踏会の主催者側として問題ごとや醜聞を持ち込まれたくはないのだ。
「失礼、近日中には白黒つけるつもりですから、なにも問題にはなりませんよ。そういえば、そちらの方は? 紹介して頂けますか」
フランシスの追求を逸らすため、先ほどまで話をしていた二人の男女に話題を変える。
見慣れない二人は、けれど男の方が激しくこちらを睨んでいることに、ジルベールは違和感を覚える。
「彼は私の部下だ。シルフォン伯爵家の子息で、アンリと言う」
「!」
「お久しぶりです。ジルベールさん」
地を這うような声で挨拶したアンリに驚いて、フランシスは思わず視線を向ける。
けれどフランシスの視線はアンリではなく、その横にいるコレットに釘付けになった。顔面は蒼白で口元を覆い震えているのである。まさか――
「っ! まさか、君がアンリ君なのか? べ、別人過ぎて気が付かなかったよ。いや申し訳ないね。横の女性は新しい婚約者かな? 一年前に婚約を破棄したと聞いて心配していたんだ……よ…」
ジルベールは、先ほどアンリの姉のコレットとの婚約解消の話を口にしてしまったことに思い至り、しまったという表情を浮かべる。
まだシルフォン家には、正式に話を通していないのだ。
「その、君の姉君との婚約解消の話なのだけどね、フルールとは侯爵家同士で家格が釣り合うという理由で打診を受けたんだ。両親も乗り気で仕方なく――」
「まぁ、ジル様ったら! 確かに最初、両家は乗り気でしたのに、ジル様は難色を示していましたわ。ですが、わたくしを一目見て心を決めて下さったのではありませんか」
「フルール!」
「なんですの? だって仕方ないではありませんか。ご婚約者様は、たいそうふくよかでいらっしゃるって。しかもそのせいでハイヒールを折ったのですって。わたくしその話を聞いて、おかしくって!」
扇子を持つ手で口元を隠し、フルールは実に楽しそうに笑った。他にも面白い話をジルベールからたくさん教えてもらったのだと、話を続けようとするのだ。
いかにも醜聞を好む貴族らしいフルールに、アンリは拳を握り怒りを堪えるのに精いっぱいだった。
「……もう結構です」
「そうだな。ジルベール殿とフルールは、今日はもう帰りたまえ」
フランシスに帰宅を勧められ、ジルベールとフルールは怪訝な顔をする。
確かに褒められたものではない話を披露したが、仮にも侯爵家の子息令嬢を追い返すのはいかがなものかと、彼らはその場に居座った。
ただ、フランシスもアンリも、既にジルベールとフルールに視線は無く、彼らの意識はとある女性に向けられていた。
金色の髪に蒼白な顔で口元を覆っている、アンリの新しいパートナーらしき女性。
「顔色が悪い。休憩室まで送ろう」
「い、いいえ。大丈夫です。ご心配には及びませんわ」
見るからに体調の悪そうな彼女は、けれど首を横に振りアンリの腕にしっかりとしがみついていた。
「大丈夫? 無理しないで、姉さん」
「――今、なんて?」
フランシスの鋭い眼光と、アンリの憎悪を宿す瞳を向けられ、なお、ジルベールはその答えに辿り着けずにいた。
二人の痛いほどの視線を気にも留めず、震えて具合の悪そうな女性を凝視する。
ふいに菫色の瞳と視線が絡む。力なく今にも泣き出しそうなほどに潤んだ瞳は、深く傷ついているのが見て取れた。
「……お久しぶりでございます。ジル様」
うっすらと笑った彼女が、自分の婚約者であることにジルベールはやっと気づいたのだった。
南領を管轄するジェラト公爵家主催の舞踏会で子息のフランシスが到着したとあれば、周囲は挨拶のタイミング計るべく、その様子を常に窺っていた。
フランシス本人も、ブルネットにアイスブルーの柔和な瞳に長身でがっしりとした体格の持ち主であり、立っているだけで周囲を惹きつける存在感を放つため、視線を集める。
その隣に立つ見慣れない金髪の美しい男女も話題をよび、周囲は彼らが何処の誰なのかを探り合っていた。ただ、シルフォン家は北領に従事する貴族であり、ジェラト公爵家に縁のある貴族とほとんど面識がないのだった。
「フランシス様、弟のアンリがとてもお世話になったと聞きました。本当にありがとうございます」
コレットはありったけの言葉を尽くして、フランシスにお礼を述べていた。
「いいえ、仕事として当然のことをしただけで。結果は全てアンリの努力の賜物ですから。それに彼にはやる気がありました。だから私も協力したいと思えたんです。全て彼の人柄ですよ」
「はい。昔からアンリは努力家で正義感が強くて。自慢の弟なのです。それを理解していただける上官に巡り合えて、アンリは幸せ者です。フランシス様のご懇情は一生忘れませんわ」
「まいったな。いえ、お言葉は嬉しい限りです。ありがとう、コレット」
フランシスとコレットの会話に、アンリは赤面し通しだった。
何度か話題を変えようと割って入ったのだが、コレットは一度話し出すと止まらない節があり、アンリは会話からはじき出された。
彼女はとにかくフランシスに感謝を述べることに夢中になっているようだった。
「姉さん、あまり上官を足止めしてもいけないから、このあたりで、ね」
「まぁ、そうね。失礼いたしました」
何度目かの制止で、コレットは話を切り上げた。
二人の仲の良さが伺える雰囲気に、フランシスは思わず笑みがこぼれる。
「アンリから話は聞いていましたが、想像以上に華やかで美しい姉君ですね。お知り合いになれて光栄です」
「上官、姉には七年越しの婚約者がいますから」
「そうなのか。それは残念」
「まぁ、お上手ですね。ふふふ、ありがとうございます」
軽い冗談をかわしながら、会話が途切れた時だった。
「失礼。フランシス様に挨拶をさせて頂いてもよろしいでしょうか? 紹介したい方もいますの」
「ああ、久しぶりだなフルール。隣の方は、確かゴルディバ侯爵家のジルベール殿か。初めまして」
「はい。お初にお目にかかります。以後お見知りおきを」
ちょうどフランシスの正面、向かい合って立ったコレットとアンリの背後から、ジルベールが声をかけたのだった。
(ま、まさか、今日ここでジル様と会うなんて!!!)
突然、最愛の婚約者の声が聞こえてきて、コレットは驚いた。この舞踏会に参加する話は聞いていなかったのでなおさらである。
さらに心の準備が出来ていないコレットは、振り返ることができずアンリの腕に掴まったままに硬直する。
「今日はフランシス様に、嬉しいご報告がありますの。わたくし良いご縁がありまして、この方と近々婚約することになったのです!」
振り返ったアンリがフランシスの前から横に移動する。流れでコレットはジルベールから隠れるように向きを変えた。
視界には彼にエスコートされた令嬢の姿が目に入る。絡められた腕は親密なほどに距離が近く、それを目にしたコレットの全身が急激に冷えていき、思わず空いている手で口元を覆う。
「フルール。まだ何も話が進んでいないのだから、このような場所で口にするものではないよ」
ジルベールがやんわりと注意するが、フルールはクスクスと笑うだけだ。ジルベールもあまり本気で止める気はないようだった。
「ジル様の婚約解消が済めば直ぐにでも発表になりますから。カヌレア家が従事する南領の方々には早めにご紹介していますの。ついでに近しい方には、特別にお話していましてよ」
フルールの発言を、ジルベールも今度は止めようとしなかった。否定もしないので本当なのだろう。
これにより、コレットは一切の思考が遮断された。そんな話は知らない。聞いていない、と。
「失礼だが、まだ先の婚約者殿との婚約解消が済んでいないのなら、みだりに口にするのはどうかと。ジルベール殿も、何事も手順はちゃんとした方がいいだろう」
フランシスの口調が強めに変わり、二人の立ち振る舞いに苦言を呈する。
舞踏会の主催者側として問題ごとや醜聞を持ち込まれたくはないのだ。
「失礼、近日中には白黒つけるつもりですから、なにも問題にはなりませんよ。そういえば、そちらの方は? 紹介して頂けますか」
フランシスの追求を逸らすため、先ほどまで話をしていた二人の男女に話題を変える。
見慣れない二人は、けれど男の方が激しくこちらを睨んでいることに、ジルベールは違和感を覚える。
「彼は私の部下だ。シルフォン伯爵家の子息で、アンリと言う」
「!」
「お久しぶりです。ジルベールさん」
地を這うような声で挨拶したアンリに驚いて、フランシスは思わず視線を向ける。
けれどフランシスの視線はアンリではなく、その横にいるコレットに釘付けになった。顔面は蒼白で口元を覆い震えているのである。まさか――
「っ! まさか、君がアンリ君なのか? べ、別人過ぎて気が付かなかったよ。いや申し訳ないね。横の女性は新しい婚約者かな? 一年前に婚約を破棄したと聞いて心配していたんだ……よ…」
ジルベールは、先ほどアンリの姉のコレットとの婚約解消の話を口にしてしまったことに思い至り、しまったという表情を浮かべる。
まだシルフォン家には、正式に話を通していないのだ。
「その、君の姉君との婚約解消の話なのだけどね、フルールとは侯爵家同士で家格が釣り合うという理由で打診を受けたんだ。両親も乗り気で仕方なく――」
「まぁ、ジル様ったら! 確かに最初、両家は乗り気でしたのに、ジル様は難色を示していましたわ。ですが、わたくしを一目見て心を決めて下さったのではありませんか」
「フルール!」
「なんですの? だって仕方ないではありませんか。ご婚約者様は、たいそうふくよかでいらっしゃるって。しかもそのせいでハイヒールを折ったのですって。わたくしその話を聞いて、おかしくって!」
扇子を持つ手で口元を隠し、フルールは実に楽しそうに笑った。他にも面白い話をジルベールからたくさん教えてもらったのだと、話を続けようとするのだ。
いかにも醜聞を好む貴族らしいフルールに、アンリは拳を握り怒りを堪えるのに精いっぱいだった。
「……もう結構です」
「そうだな。ジルベール殿とフルールは、今日はもう帰りたまえ」
フランシスに帰宅を勧められ、ジルベールとフルールは怪訝な顔をする。
確かに褒められたものではない話を披露したが、仮にも侯爵家の子息令嬢を追い返すのはいかがなものかと、彼らはその場に居座った。
ただ、フランシスもアンリも、既にジルベールとフルールに視線は無く、彼らの意識はとある女性に向けられていた。
金色の髪に蒼白な顔で口元を覆っている、アンリの新しいパートナーらしき女性。
「顔色が悪い。休憩室まで送ろう」
「い、いいえ。大丈夫です。ご心配には及びませんわ」
見るからに体調の悪そうな彼女は、けれど首を横に振りアンリの腕にしっかりとしがみついていた。
「大丈夫? 無理しないで、姉さん」
「――今、なんて?」
フランシスの鋭い眼光と、アンリの憎悪を宿す瞳を向けられ、なお、ジルベールはその答えに辿り着けずにいた。
二人の痛いほどの視線を気にも留めず、震えて具合の悪そうな女性を凝視する。
ふいに菫色の瞳と視線が絡む。力なく今にも泣き出しそうなほどに潤んだ瞳は、深く傷ついているのが見て取れた。
「……お久しぶりでございます。ジル様」
うっすらと笑った彼女が、自分の婚約者であることにジルベールはやっと気づいたのだった。