アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 部屋に入ると、アリーシャをソファーで待たせて風呂の用意をする。
 いつもはシャワーしか使わない浴室の、ほとんど使ったことがない浴槽に湯を張る。
 その間に備え付けのタオルで、雨に当たって濡れた頭を拭いてしまう。
 このままにしていたら、オルキデアが風邪を引いてしまいそうだった。
 浴槽の湯が半分以上溜まったところで、アリーシャを呼びに行く。

「風呂の用意が出来たぞ。先に入れ」
「オルキデア様は入らないんですか……?」
「俺はまだやることがあるんだ。温かい内に入ってしまえ」

 戸惑うアリーシャの腕を引いて、トイレや洗面台も一緒になった脱衣所まで連れて行く。

「でも……。一人は不安で……」
「一緒に入る訳にはいかないだろう。この部屋に居るから、入って来い」

 不安そうに何度も振り返るアリーシャを、オルキデアも繰り返し浴室に促すことで、アリーシャは恐る恐る脱衣所の中へと消えて行った。
 服を脱ぎ出したのか、中から衣擦れの音が聞こえてくると、ようやくひと息つけたのだった。
 気持ちに余裕が出てくると、机の上を確認する。
 アリーシャが来てもいいように、用意をしている最中だったのを思い出して、何とも言えない気持ちになる。

 電子メールを確認しようと椅子に座ったところで、滅多に使われない電話機が不在着信を告げていることに気づく。
 電話機のナンバーディスプレイを確認すると、停電している間に、同じ番号が断続的に掛けてきたようだった。

「この番号は、クシャースラの自宅だな」

 アリーシャの一件があって、連絡するのを忘れていた。
 クシャースラにはセシリアたちに屋敷の管理をお願いする代わりに、クシャースラが不在時にはオルキデアがセシリアやメイソンたちの様子を見るように、予め取り決めを交わしていた。

 番号に折り返し掛けると、すぐに電話口に「オルキデアか!?」と出たのだった。

「遅くなってすまない。落雷で停電したんだ。そっちは大丈夫だったか?」
「ああ。何ともない。たまたま家に帰っていたからな。お義父(とう)さんたちも大丈夫だそうだ」

 どうやら、停電している間にクシャースラの方から、コーンウォール家に連絡をしてくれたらしい。
 肩の荷が降りて、電話口でほっと息を吐いた。

「それは良かった」
「そっちは? 停電したんだろう。大丈夫か?」
「俺は大丈夫だ。ただ、アリーシャが怯えてしまってな。側を離れたがらないんだ」
「怪我をしたのか?」
「……いや、どうも襲撃時のフラッシュバックを起こしたようなんだ」

 自分にとって、もっと辛い記憶と類似した現象に遭遇することで、辛い記憶を再体験したように感じるフラッシュバック現象。
 同じ現象をオルキデアも北部基地で体験したから気づいた。
 過剰に怯え、泣き叫び、幼児の様に縋り付いてくる。
 そこに頭痛や吐き気が襲ってきて、悪夢に魘されることもある。

「そうか……」
「ああ。すまないが、もし軍から出動要請があった場合、セシリアを屋敷に寄越してくれないか。さすがに今日のアリーシャを一人には出来ない」

 落雷に限らず、自然災害などで木々が倒れ、家屋に被害が出た時、王都の警察だけでは手に負えないと判断された場合には軍に出動要請が入ることがある。
 そうなれば、たとえ休暇中であっても、出動しなければならない。

「おれは構わない。セシリアには伝えておくよ」
「頼む」
「それはいいが、本当にお前さんは大丈夫なのか?」

 電話を切ろうとしたところで、不安そうな声に尋ねられて手が止まる。
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