アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 戸惑うアリーシャに、「そうですよ!」とコートをセシリアに預けたクシャースラが近づいてくる。

「コイツは出不精なので、これまで執務室から一歩も出ない日だってあったんです。たまに屋敷に帰って来ても、寝てばかりで何もしなくて。こっちが食事に誘わないと食べない始末でして」
「別に水さえあれば、食わずとも生きていけるだろう」
「正確には、水と塩と砂糖だけどな」

 軽口の応酬を繰り返す二人に、セシリアが「おふたりとも」と、いつもの笑みを浮かべたままーー同じといっても、今回は冷たさを含んでいたが。止めたのだった。

「せっかく、アリーシャさんと作ったビーフストロガノフが冷めてしまいます。早く手を洗ってきて下さい」
「あ、ああ……」

 クシャースラのコートをハンガーにかけると、セシリアはさっさとキッチンに戻って行く。

「あ、あの。私、セシリアさんを手伝ってきますね……!」

 オルキデアからコートを預かったアリーシャも、空いていたハンガーに掛けると、パタパタとスリッパの音を立てながら、キッチンに向かってしまう。
 そうしてセシリアの趣味と思しき、緑が生い茂る植木鉢が飾られた清潔感のある玄関口には、男二人だけが取り残されたのであった。

「これは……」
「ああ。お互い、妻には敵わないようだな」

 二人は互いの肩を叩き合うと、そそくさと洗面所に向かったのだった。

 四人で夕食を済ませて、片付けを手伝った二人は、オウェングス邸を辞去して、帰路についた。

「セシリアさんのビーフストロガノフ。美味しかったです!」
「ああ。ビーフストロガノフも美味しかったが、付け合わせの温野菜にかかっていたソースも美味しかった」

 どちらともなく指を絡めて手を繋いだ二人は、秋も更けて寒くなった夜道を歩いていた。

「本当ですか!? あのソース、私が作ったんです!」
「やはりそうだったか。馴染みのある味に近かった」
「セシリアさんに教わって、アレンジしてみたんです! オリーブオイルにビネガーを足してみました」

 興奮気味に話していたアリーシャは、嬉しげに繋いだ腕に身体を寄せてきた。
 すると、ふと、我に帰ったアリーシャが「す、すみません!」と身体を離して謝ったのだった。

「褒められたのが嬉しくて、つい……。調子に乗ってしまいました。すみません……」
「何を謝る必要がある? お前の喜ぶ姿が愛らしくて、見惚れていたというのに」
「えっ……?」
「これくらいで喜んでくれるなら、毎日だって褒めよう。褒美にまた口づけるのもいいな」
「ま、またですか!?」

 恥じらい顔を見せる新妻が愛おしく、頭を撫でようとしたところで、アリーシャが反対側の肩から布製のバックを下げていることに気づく。

「そのバックはどうした?」
「セシリアさんに教わったレシピをまとめたノートや、昼間に買った裁縫の道具が入っています。ノートも、カバンも、裁縫の道具も、オルキデア様から頂いたお小遣いで買いました」
「一人で買いに行ったのか?」
「夕食の買い出しに行くというセシリアさんと一緒に買いに行きました」

 オルキデアの腕に身を寄せたアリーシャは、笑みを浮かべたのだった。
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