アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
「家族?」
「はい。妙齢の女性でして、貴族の様な身なりをされていますが……」
「……名前は聞いたか?」

 かつて、オルキデアが一夜の関係を持った女性が家族を偽っているだけならまだいい。
 けれどもそれ以外で、オルキデアの家族を名乗る女性など、一人しかいない。

「ティシュトリア・ラナンキュラスと名乗っておりました」
「やはりな」

 オルキデアは大きく溜め息を吐いた。
 一番、会いたくない人物だった。

(だが、会わない訳にもいかないか)

 いつまでも、避け続ける訳にもいかない。
 既に職場と屋敷に出没しているのだ。次は戦場にまで来かねない。

「わかった。案内してくれ」

 返事をして出て行く部下を見送ると、オルキデアは報告書のデータを閉じる。
 今日は、もう続きは書けないだろう。早く提出しなければならないが。

 ーー今夜はやけ酒だな。

 買い込んでいた酒が残っていればいいが、と考え込んでいると、扉が開いた。

「オーキッド!」

 入って来たのは、分厚い封筒を胸に抱えた妙齢の女性だった。
 アリーシャやセシリアと同じような服装と髪型、化粧をしているが、実年齢を知っているオルキデアは未だに若々しく振る舞おうとする姿にげんなりする。

「しばらく振りね。元気にしてたかしら? 背もすっかり伸びて、髪までこんなに……」

 オルキデアを愛称で呼び、オルキデアと同じダークブラウン色の髪を持つ女性ーーティシュトリアは、オルキデアに近づくと強く抱きしめてくる。

「最後に会った時からあまり背は伸びていません。髪は、最近まで戦場にいたので、まだ切っていないだけです」

 肩にギリギリ付くくらいまで伸びたオルキデアの髪に触れてくるティシュトリアを、ようやく引き離す。

「それで、今更、何の用事ですか? 父の葬儀にも出なかったのに」
「あれは……代わりに遣いをやったわ」
「遣いの者は来ましたが、俺は貴方に来て頂きたかったんです。母上(・・)

 ティシュトリアは、オルキデアの母は、黒曜石の様な黒い瞳を細める。

「そう? それはごめんなさいね。忙しくて、行けなかったのよ」
「忙しいのは、男関係でしょう。何人もの男と関係を持って、飽きたら捨てて。勝手にラナンキュラスの名前を使って、金遣いも荒く、男たちの借金まで肩代わりして……」
「それは、それよ。噂で聞いたわ。オーキッドだって、女関係が激しいって。なあに、一夜だけ抱いて、あとは捨ててるって?」
「あれは、相手から抱かれに来ているのであって、俺から抱いた事はありません」

 ーーそれどこれか、招待されたパーティーの泊まり先で、勝手に部屋やベッドに入り込まれて困っているというのに。

 そこまで言おうか迷ったが、ティシュトリアの思惑通りになる気がして、ぐっと言葉を飲み込む。

「その話だけなら、お引き取り頂けますか。何しろ、最近まで戦場にいたので、書類仕事が溜まっていて」

 手で払う仕草を見せると、ティシュトリアは「まあ、酷い」と悲しんだ。ーーどうせ、振りだが。

「今日はね。オーキッドに話があって来たのよ」
「話、ですか?」
「ええ。母はね、愛する息子の為に見つけてきたのよ」

 そうして、抱えていた封筒を差し出しくる。

「貴方の結婚相手よ」

 オルキデアの顔が引き攣ったのだった。

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