アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
(今はそんなことを考えている場合では無いな)

 オルキデアは頭を振って、それを追い出すと先を歩く。
 もうすぐ、北扉が見えてくる。
 既にオルキデアが保護している「記憶障害の民間人」を移送する許可は、プロキオンを通して得ている。

 プロキオンは最後まで、アリーシャをオルキデアに任せたままで会いに来なかった。
 信頼されていると思っていいのだろうか。
 ただ単に、プロキオンが忙しかっただけという気もするが。

 北扉の手前の警備の控え室から影になるところに、アルフェラッツが待機していた。
 目が合ったオルキデアが頷くと、アルフェラッツはさっとセシリアの隣にやってくる。
 一応、オルキデア以外の監視として、アルフェラッツを付けていると、警備に見せるつもりであった。

 オルキデアは控え室前に立っている兵に近づくと、敬礼する兵に返礼する。

「申請していた民間人の捕虜を軍事病院に移送させる。書類は予め提出していた通りだ」

 今日に備えて、オルキデアは予めアリーシャの移送を軍部に申請していた。
 移送先の病院、移送方法、アリーシャの状態ーー偽造したが。全てを記して、軍部に提出していた。
 怪しまれるところは何もない筈だった。

「ああ。今日だったな。休暇なのに大変だな……後ろの女性が例の?」

 兵と共に後ろを振り返ると、アルフェラッツの隣でセシリアが俯いていた。

「そうだ」
「どこかで見たことあるような気がするな」

 ギクリとオルキデアは慌てそうになる。
 お腹に力を入れると、「そうだろうか?」と聞き返す。

「まあ、見間違いかもしれん。以前、当直明けの早朝に食堂に行ったら、同じ髪色の女性を見たからだろう」

「ああ……」とオルキデアは呟く。
 その「以前」というのは、恐らくヤケ酒したオルキデアが、アリーシャに朝食を頼んだ日だろう。
 アリーシャを朝早くに食堂に行かせたのは、その時だけだった。

「軍部では大勢の女性が働いているので、恐らくは」
「だろうな。そういえば、そっちもどこかで見た顔だったな。何で見たかな……テレビ? いや、新聞か?」

 またもや、オルキデアの顔が引き攣る。
 やはり、まだアリサの顔を覚えている者は少なからずいるようだ。

「そうか……?」
「まあ、気のせいだろうがな」

 そうして、兵はシュタルクヘルト語でセシリアに「お大事に」と言って、許可を出した。
 案外、人が良い兵だったようだ。
 セシリアは頭を下げると、アルフェラッツに連れられて先に出て行ったのだった。

「俺は移送が終わった、そのまま休暇に入る」

 それから、兵と二、三言葉を交わすとオルキデアも後を追って、北扉から外に出る。
 北扉から離れると、そっと息を吐く。

 ーー緊張したな。

 肩に力が入っていた。柄にもなく緊張したらしい。
 初陣を除いて、戦場でさえここまで緊張したことはない。

 ーー早くアリーシャの顔を見て、安心したいものだな。

 何となく、アリーシャの笑顔を見れば、この緊張が解けるように感じた。
 どうやら、オルキデア自身もアリーシャと離れて、不安定になっているらしい。
 これでは、役目を果たしてアリーシャと別れた後が思いやられる。

 北扉から離れたところに、二人が乗っている車を見つける。
 既に先に外に出ていたアルフェラッツは運転席に座り、二人掛けの席を向かい合わせた後部座席には、セシリアが座っていたのだった。
 オルキデアは車のドアを開けて後部座席に座ると、「待たせたな」と二人に声を掛ける。

「では、出発しようか」

 それを合図に車のエンジンがかかって、ゆっくりと走り出す。

 もう少ししたら、アリーシャたちも移動を開始するだろう。

(アリーシャ)

 軍部を振り返ったオルキデアは、声に出さずにそっと名前を呼んだのだった。


< 97 / 284 >

この作品をシェア

pagetop