恋獄の鎖
 見てくれだけの家庭に、はっきりと亀裂が入ったのは二十回目の結婚記念日を間近に控えたある日のことだ。


 ミハエルに愛人ができた。

 相手は最近人気の舞台女優だ。


 評判を聞き、果たしてどの程度の女なのか見たくて、主役を演じている舞台のチケットを三枚取った。

 つまらない話に、何が取り柄なのか良く分からない主演女優。わたくしの記憶には何ら残ることもなかった。


 なのに。

 夫と娘とわたくし、家族三人で見に行った演劇の最中に、夫は妻以外の女に恋をしたのだ。


 その事実はわたくしを混乱に陥らせるには十分だった。

 何故。

 ミハエルが愛しているのはリザレット・カルネリスではなかったのか。

 それが何故わたくしと結婚して二十年近く経ってから、彼女に似ているでもない舞台女優など愛人にしたのか。

 ぽっと出の舞台女優ですら得られる愛を何故わたくしは得られないのか。


 何故。

 何故なの。


 考えるだけでも気が狂いそうだった。

 わたくしはおそらく、嫉妬のあまりまともな判断はできなくなっていたのだろう。

「こんな、大金を……!」

 見てくれだけは整えた中年の男が、テーブルの上に置かれた鞄にぎっしりと詰められた札束を見て目の色を変えた。劇団の座長であり、劇場の支配人でもある男だ。

 わたくしもあくまで"観劇好きの貴婦人"として笑みを浮かべ、男が食いつくであろう餌を与える。

「あなた方が演じる舞台はどれも素晴らしいわ。だからぜひとも、パトロンとして援助をして差し上げたいの。たとえば――新しい大劇場の建設などいかがかしら」

「さすが可憐な白百合と評判のラドグリス侯爵夫人は、お心遣いも素晴らしくいらっしゃる」

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