悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
第三章
 終業式が終わり、夏季休暇が始まった。例年は避暑地の別荘で過ごすのだが、今年は情報収集のため、しばらく王都に滞在することにしたのだ。

(なんて言ったって、これからの行動で、未来がまるっきり変わるのだもの。のんきにバカンスしている場合じゃないのよ)

 現状、悪役令嬢の役はナタリアに変更されているようだが、臨時キャストの変更なのか、確定事項なのかはまだ不明だ。さらなる調査が求められる。
 そして、最重要課題は親密度のゲージの確認だ。トゥルーエンド分岐となるイベントを発生できなかったせいで、親密度が下がっている可能性が高い。
 罪滅ぼしではないが、できることがあるなら助力したいと思っている。そのためには、まずフローリアの動向を探る必要がある。

(ゲームと同じなら、フローリア様の家の場所はわかる。偶然を装って会いに行ってみるのもいいかも)

 クローゼットの扉を開け放ち、イザベルは奥に隠してある服を引っ張り出した。
 麻のブラウスに、平凡な紺のスカート。数日前、里下がりするメイドに頼みこんで譲ってもらった洋服だ。
 手早く着替えて、天蓋付きベッドの下に腕を伸ばす。
 忍ばせていた紙袋を取り出し、新品の真っ赤なヒールから、薄汚れた編み込みの革靴に履き替えた。
 最後に、朝一にリシャールに整えてもらった髪の毛を帽子の中に押しやり、姿見の前に立つ。

「ふふふ……」

 鏡に映し出されたのは庶民の娘。
 一見しただけでは、伯爵令嬢とは思えまい。服装が変わったことで、前世の庶民らしいオーラも出ている気がする。

「……完璧だわ」

 自画自賛する声に反応する者はいない。
 イザベルは満足げに頷くと、今度はドアを少しだけ開ける。
 注意深く耳をすますこと、数十秒。
 足音や話し声が聞こえないことを確認し、廊下から使用人通路に抜け出る。書斎から失敬した非常時用の見取り図を見ながら、裏門へ続くルートをひたすら歩く。
 やがて、前方から薄く伸びた外の光が見えてきて、顔を上げる。小さな光源が徐々に大きくなるにしたがって、自然と歩く速度が上がった。

「出口だわ……!」

 まぶしい視界に目を細め、片手を顔の前に掲げる。薄明かりの裏道から太陽の下に出て、体が浄化されていくような心地に包まれる。
 しかし、始まったばかりの冒険譚に水を差す声が届く。

「イザベル様」

 幻聴だ。きっと、聞き間違いに違いない。

「お嬢様、お待ちしておりました」
「…………」
「耳を塞いでも無駄です」

 なおも続く声に観念し、両耳を覆っていた手をそっと下ろした。

(……優秀すぎる執事っていうのも問題ね)

 声がした左へ目を向ければ、そこには真顔のリシャールがいた。
 最初から計画を知ったうえで、出口で待ち伏せていたと考えるのが自然だろう。

「連れ戻しに……来たの……?」
「いいえ。違います」
「えっ?」
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