惡ガキノ蕾
~H31.1.15過ぎの或一日 優動画発見~
師走《しわす》と言うだけあって、年末から大晦日とあっ、───ちゅう間に過ぎ、新しい年を迎えると十二月二十日生まれのあたしは、芽出度く《めでたく》満十六歳と成っていた。今年も大人への階段を転がり落ちる事無く、無事に又一段上がれた事を嬉しく思う。
十一月から連続していた火事も、双葉の誕生日の夜を最後に一件も起きていないし、新年も成人式を過ぎる頃になると原付免許をゲットしたあたしの頭の中は「どんなバイクを買おうかな♪」で隙間無く埋められていて、日々スマホの画面に色んなバイクを取っ替え引っ替え引っ張り出してはエヘラエヘラするという奇行を、飽きる事無く繰り返していたのだった。
──カラ・コロ・カラン
「見てこれ!ヤバくないっ!?」
バタバタと慌ただしく入って来るなり息を切らせた優が、左手に持った携帯をあたしの顔面ギリギリまで近付ける。
「ちょっ…、近いし。見えてね―し。」
カウンターの中で唐揚げ用の鶏肉をたれに漬け込んでモミモミしていたあたしは、目の前に突き付けられた携帯から顔だけを離した。
「…ったく。何事?」
ちょっと待ってと言うと、優はスティッチカラ―のネイルの付いた人差し指で液晶を何度かタップして、今度はその携帯をカウンターの上に置いた。
手を止めたあたしが携帯を覗き込むと、液晶には夜の街が映し出されていて、バックには動画を撮影している人間の息遣いと、遠くを走る車の排気音だけが聞こえている。足音のばらけ方を注意して聞いてみると、なんだか動画を撮っている人間の他にもう一人誰かいるみたいだった。歩いているのは、多分だけど二人…なのかな。足音と同じリズムで揺れていた画面が、一軒の家の前で止まる。ぼそゝと聞こえる話し声の中に「キィ―ッ」と鉄の門扉を開く時特有の軋んだ《きしんだ》音が重なって、画像は家の正面から脇へと回って進んで行く。話し声は変わらず続いているんだけど、何を喋っているのか迄は……無理、上手く聞き取れない。二・三秒の間があって、家の脇に置かれたゴミ箱みたいなプラスティックの入れ物に画面が寄っていく。それまで小刻みに動いていた画面のブレがピタリと止まった。何処《どこ》かに携帯を置いたのだと分かる。ゴミ箱の蓋《ふた》が取られて、画面の右側から伸びた手が箱の中に何か液体を入れる。ジッポオイルの入れ物のようにも見えるけど……、暗くてはっきりとしない。全く躊躇《ちゅうちょ》の無い動きで、今度はその中に火の点いた紙屑が落とされた。止めた息を吐く間も無く炎が上がる。画面全部が炎に覆われて、映像はそこで止まった。
「……何これ?」
「最初はYou Tubeにupされたみたいなんだけど、直ぐに削除されちゃったみたいなのね。これは削除される前にどっかの誰かがツイッタ―に飛ばした画像が拡散されて回ったやつ」
「うん。そんで?」
「にぶっ。んじゃ第二ヒント。この動画のリンク先に跳ぶと…」
話しながら液晶をタップする優の呼吸もやっと整ってきたみたい。切り替わった画面の中、スクロ―ルしていく夜の街並み。バックには今度も複数の足音と息遣い。足音が止まったのはさっきと違う家の前。画面はその家の一階の窓をズ―ムアップしていって……、カメラか携帯を何処かに置いているみたいで画面の中には指が時々見切れている。
──「ガシャンッ」という音と一緒に、その窓ガラスにグレ―プフル―ツ位の穴が開く。真っ黒の穴からは蜘蛛《くも》の巣みたいな罅《ひび》が拡がっているんだけど、窓の内側はそれでも静かで真っ暗なまま。人がいる感じは無い。画面の右側から腕が伸びてきて、メガホンのように丸められた先に火の点いた雑誌を投げ入れた。真っ暗だった部屋の中が少しずつ明るくなって来て……。画像とあたしがフリ―ズした処で動画が終わった。
「これって…」(放火の)と続けようとした言葉は喉に貼り付いて出て行かない。さすがにバイクの事で頭が惚けていたあたしにも、優の言いたい事が分かった。
「他にもあんの?」
「あるよん。後二つ。見る?」
「う~ん。今はいいや。スマホに送っといて」
「りょ」
カウンターに座り直すと、指一本で四つの動画全てを送ってくれる。あたしは手を洗うと、ミルクティ―の入ったグラスを優の前に置いた。
「ん?」
走って来たみたいだったから、ここは敢えて冷たいのにしてみた。ちょっと攻めてみた冬の日。
「良かったら飲んで」
あたしの言葉に優はニンマリして、氷の入ったグラスに口を付けた。それから、そう言えばという感じで「双葉は仕事中?」と、座敷に目を向ける。「うん」と頷いて、時計を見ると四時三十分。店に入るのちょっと早かったかな。
「これで今日はお仕舞いの筈だから、後三十分位じゃない」、思い出して「お客さんみゆだよ」と付け足すと、カ―テンの向こうから「優久しぶり~」とみゆの声。
「みゆ先輩こんちはっす」
ボウルに入った鶏肉を、タッパ―に入れ替えて冷蔵庫の中へ。
「でもさぁ、これで放火の犯人も捕まんじゃね」と、ネイルした爪でグラスの中の氷を掻き混ぜながら優の軽い調子。
「なんで放火の犯人が捕まんの?」
考え無しに頭の中をそのまんま口にしたあたしに、しょうがないなあと姉さんぶった感じを全面に押し出して優が続ける。
「だってさあ、ほら、あのス―パ―の食材に楊枝《ようじ》刺してイタズラした奴とか、走ってる車のボンネットの上に乗ってる動画とか、法律に違反する様な動画をupした奴は警察も探すから、今までだってみんな捕まってんじゃん」
その位常識だろって感じで、横目であたしを見たままグラスを持ち上げて氷を口に含む。なんかこいつ、ちょっとカッコつけてんな。…でも、動画が四件に火事も四件。太一が話してくれた噂通り、やっぱり放火だったんだ。
「…成る程ね」
言われてみれば、ネットニュ―スでちょっと前にそんなのを見た気もするし。四件目の火事があったあの夜、炎の揚がる直前に堤防の上でぶつかった二人組が何となく気になっていたんだけど、放火の犯人が捕まるって優の口から聞いたら、なんだかほっとした。…あの夜から一ヶ月とちょっと。左足の固定も取れて今では湿布だけだし、なんだか胸の中も左足もちょっと軽くなった気までしてくる単純なあたし。
「氷うまっ!」
つけまバッチリの目をこれ以上無い程見開く優。今日のカラコンはブル―。この人は一体何を基準にして毎日のカラコンの色を決めてんだろ。
「氷の溶けたミルクティ―って飲むとき上の水だけ来るからさ、濃いめのミルクティ―で氷作ってみたんだけど」
「い―じゃんこれ。店で出すやつ?」
「面倒くさいし、夜は頼む人も居ないっしょ」
「それな」と返して、又ニンマリする。優はこう見えてって言い方も失礼だけど、SEの仕事をしていて、あたし達の周りでは唯一のIT系女子。仕事はほぼゝ在宅で、会社に顔を出すのは月に一回か二回の筈だ。小さい頃からパソコンで遊ぶのが好きだっただけなんて優は言ってるけど、顔に似合わずって、あ、これも失礼だけど、地頭がいいんだろうなっていうのが、あたしと双葉共通の見解。自分の家の事はあんまり話さないけど、双葉からはお父さんもお母さんも働いていて、二人とも滅多に家に帰って来ないって話を聞いた事がある。優は隣の小学校で、双葉とつるむようになったのは中学校に入ってからだから、当然あたしとの付き合いもそっからで、まだ三年位のもんだけど、卒業してから此方《こっち》、殆ど一緒に居る所為《せい》か最近じゃ家族の一員みたいな気さえしてる。飾らなくて気取らない優が、あたしは結構好き…なのかも知れない。
優が二つ目の氷をガリガリ噛んでいると、仕切りのカ―テンが開いてみゆが座敷を降りて来た。
「ちゃっす」
「ハッセナバシ~、優」
舌ったらずで甘える様な話し方をするけど、みゆは双葉と優の一コ上で一樹と同い年の中学からの先輩。イラン人のお父さんと日本人のお母さんを持つmix《ハ―フ》。で、さっきの「ハッセナバシ」はペルシャ語で「お疲れ様」って意味だとか…言ってた気がする。…確か。…いや、多分。彫りの深い顔立ちで、街を歩いているとよく英語で話し掛けられたりもするらしいんだけど、歴《れっき》とした日本生まれの日本人。今はパブスナックで日々真面目に働く現役のキャバ嬢だ。あ、キャバクラじゃないからキャバ嬢とは言わないのかな?そこら辺良く分かんないけど。
「はなみ~何かちょうだい。喉渇いた~」
優の隣に座ったみゆの前に、ジャスミン茶にミントの葉を一枚浮かべて置く。
「ありがと~」と、一息で半分程グラスを空けるみゆ。シャワ―でも浴びるのか、裏口から出て行こうとする双葉を目で追いながら顔を振ると、鍋が吹き零れているのに気が付いた。慌てて火を消して、用意しておいた笊《ざる》の中にジャガ芋を空けると、湯上がりで盛大に蒸気を揚げホッと一息ついてる処を、委細構わず皮を剥いていく。ツルツルお肌に生まれ変わったジャガイ芋達。それを今度はピカピカに磨かれたボウルの中から此方《こちら》を見返すあたしの顔の上に置いていく。今日の突きだしはポテトサラダと蒟蒻《こんにゃく》の煮物。湯気の揚がるジャガ芋を見てると、バタ―付けて齧り付きたくなるのってあたしだけかな?先天的にDNAに組み込まれているのか、一度もそんな食べ方した事も無いのに不思議だ。
「い~な~、優は自由で~」
カウンタ―に背を向けているあたしの後ろで、みゆのハスキ―な声が聞こえる。
「それがぁ、っぽく見えるだけで、そうでもないんですって」
「だって~、遅刻とか無いし~時間に縛られないじゃ~ん」
「まぁ、そう言っちゃそうなんですけど…ってみゆ先輩、今日は出勤ですよね」
「うん。昨日は休みだったんだけど~、今日は9時から~」
ダルッと呟いてカウンタ―に顔を伏せると、そのままの姿勢で「あたしにもさっきの動画送って~」と、口籠った《くごもった》声で優におねだりしている。
「いいですよ。あれ?じゃあ今日は店出てもお酒飲まない方がいいんじゃないですか」そうやって喋りながらも、そのまま優は早速携帯をタップ。刺青を入れた当日のお酒云々《うんぬん》は、この前双葉に言われたのを覚えていたに違いない。
「そう。だから~ホントは昨日来たかったんだけど~、ママとディズニ―ランド行ってたから~」
「お母さんとディズニ―ランドって、どんだけ仲良いんですか」
みゆのお母さん、千枝ちゃんはディズニ―好きが高じて《こうじて》、お店の名前も"魔法の絨毯《じゅうたん》"にした程。察しの通りみゆの働くパブスナック"魔法の絨毯"はみゆのお母さんがオ―ナ―。みゆからしたらママで"ママ"って訳。
「そう言えば優、塚本って知ってる~?」
「塚本って…、どこの塚本ですか?」
「南中~。あたし達が三年の時とか~、うちの学校の周り単車で何回か走りに来た事もあって~、一樹とよく喧嘩したりしてたんだけどな~」
「あ―ね、塚本って名前は知らなかったけど、その件なら知ってますよ。バイクに乗ってるとこ一樹先輩にラリアットされて、のびちゃった奴ですよね」
「そう!そいつ~。あたしラリアットされて1回転すんの初めて見たもん」そう言ってみゆが笑うと、優も大笑いで続く。
「一樹先輩プロレス好きですもんね」
「そうそう一樹も~、思いっきりプロレス出来て喜んでたんじゃない。いつも塚本が帰る時は~、又遊びに来いよ~とか言ってたもん」
「ははっ。…そんで、そのラリアットがどうかしたんですか?」
「最近よく5・6人で飲みに来ててさ~。なんか金持ってそうだったから~、何の仕事してんのかな~と思って、優って南小じゃなかった~?」
「あ、そうですよ。南小ですけど、一コ上で塚本……覚えて無いなぁ…」
「いや別にいいんだけど~。あいつら酔っぱらうと酒飲ませようとしてしつこいんだよね~」
「あんましつこかったら、ロ―プに飛ばしてラリアットじゃないっすか」
「店にロ―プ無いし~」とみゆが言って、二人が又笑う。
潰したジャガ芋に塩とマヨネ―ズで味付けして、軽く黒胡椒を挽く《ひく》。
外階段を降りて来る足音が聞こえて、双葉が戻って来た。店に入って来ると、缶ビ―ルを片手にカウンタ―じゃなく小上がりに腰を下ろす。
「双葉~。次は今月末の木曜日なんだけど~、大丈夫~?」
「時間だけメ―ルで送っといてくれれば」
双葉の言葉が途切れるタイミングに合わせたみたいに、空気が震える程の派手な単車の音が近付いて来て、店の前でピタリと止まった。
「来たんじゃないっすか」今度は優のその言葉が終わると同時に引き戸の鐘が鳴って、みゆママが入って来る。「おはよ~」
『おはようございます』あたし達三人の声が揃う。
じゃあね~と、カウンタ―の上に小銭を並べて、みゆが椅子を降りた。
「一樹に、たまには飲みにおいでよって言っといて」
手を振りながら「ショ―トも似合ってんじゃん」と双葉に微笑みかけて、みゆママが出て行く。引き戸の向こうで、みゆの「余計な事言わないでよ~」って、ちょっと怒ったような声がした。みゆママが何か言い返したみたいだったけど、直ぐに雷様が怒ったみたいな凄まじい音が重なって聞き取れなかった。あ、一つだけ忘れちゃならない内緒の話。みゆママに「千枝ちゃん」って名前呼びは禁止。何がお気に召さないのか、人が変わったみたいに怒り出すんだから。
──カラ・コロ・カラン
「べらぼうな音だねえ。みゆちゃん達かい?」
入れ違いにニコニコときむ爺が入って来る。「仲良いよなぁ」と呟いた優の声は、何の色付けも無く素直で、羨ましそうな響きを少しも隠していなかった。
「誰かと思えば優ちゃんじゃねえか。こんにちは」
「こんちは」
じゃあ、あたしも帰ろうっと、誰にともなく言って、優が椅子を降りる。座敷でテ―ブルの位置を直していた双葉の「送って行こうか」と言う声を、振り返らず「大丈夫」と打ち返す優。引き戸を開けた処で一旦振り返ると、きむ爺に全力の変顔を噛まして、ウィンクを置き土産に帰って行った。
その後、一樹に見せるのは犯人が捕まってからにしようと言う双葉の意見で、動画の件は一樹に内緒にする事にした。「仕事放ったらかして犯人探しとか言い出したら面倒だからね」と付け加えた双葉の説明には、あたしも激しく同意だったからね。
師走《しわす》と言うだけあって、年末から大晦日とあっ、───ちゅう間に過ぎ、新しい年を迎えると十二月二十日生まれのあたしは、芽出度く《めでたく》満十六歳と成っていた。今年も大人への階段を転がり落ちる事無く、無事に又一段上がれた事を嬉しく思う。
十一月から連続していた火事も、双葉の誕生日の夜を最後に一件も起きていないし、新年も成人式を過ぎる頃になると原付免許をゲットしたあたしの頭の中は「どんなバイクを買おうかな♪」で隙間無く埋められていて、日々スマホの画面に色んなバイクを取っ替え引っ替え引っ張り出してはエヘラエヘラするという奇行を、飽きる事無く繰り返していたのだった。
──カラ・コロ・カラン
「見てこれ!ヤバくないっ!?」
バタバタと慌ただしく入って来るなり息を切らせた優が、左手に持った携帯をあたしの顔面ギリギリまで近付ける。
「ちょっ…、近いし。見えてね―し。」
カウンターの中で唐揚げ用の鶏肉をたれに漬け込んでモミモミしていたあたしは、目の前に突き付けられた携帯から顔だけを離した。
「…ったく。何事?」
ちょっと待ってと言うと、優はスティッチカラ―のネイルの付いた人差し指で液晶を何度かタップして、今度はその携帯をカウンターの上に置いた。
手を止めたあたしが携帯を覗き込むと、液晶には夜の街が映し出されていて、バックには動画を撮影している人間の息遣いと、遠くを走る車の排気音だけが聞こえている。足音のばらけ方を注意して聞いてみると、なんだか動画を撮っている人間の他にもう一人誰かいるみたいだった。歩いているのは、多分だけど二人…なのかな。足音と同じリズムで揺れていた画面が、一軒の家の前で止まる。ぼそゝと聞こえる話し声の中に「キィ―ッ」と鉄の門扉を開く時特有の軋んだ《きしんだ》音が重なって、画像は家の正面から脇へと回って進んで行く。話し声は変わらず続いているんだけど、何を喋っているのか迄は……無理、上手く聞き取れない。二・三秒の間があって、家の脇に置かれたゴミ箱みたいなプラスティックの入れ物に画面が寄っていく。それまで小刻みに動いていた画面のブレがピタリと止まった。何処《どこ》かに携帯を置いたのだと分かる。ゴミ箱の蓋《ふた》が取られて、画面の右側から伸びた手が箱の中に何か液体を入れる。ジッポオイルの入れ物のようにも見えるけど……、暗くてはっきりとしない。全く躊躇《ちゅうちょ》の無い動きで、今度はその中に火の点いた紙屑が落とされた。止めた息を吐く間も無く炎が上がる。画面全部が炎に覆われて、映像はそこで止まった。
「……何これ?」
「最初はYou Tubeにupされたみたいなんだけど、直ぐに削除されちゃったみたいなのね。これは削除される前にどっかの誰かがツイッタ―に飛ばした画像が拡散されて回ったやつ」
「うん。そんで?」
「にぶっ。んじゃ第二ヒント。この動画のリンク先に跳ぶと…」
話しながら液晶をタップする優の呼吸もやっと整ってきたみたい。切り替わった画面の中、スクロ―ルしていく夜の街並み。バックには今度も複数の足音と息遣い。足音が止まったのはさっきと違う家の前。画面はその家の一階の窓をズ―ムアップしていって……、カメラか携帯を何処かに置いているみたいで画面の中には指が時々見切れている。
──「ガシャンッ」という音と一緒に、その窓ガラスにグレ―プフル―ツ位の穴が開く。真っ黒の穴からは蜘蛛《くも》の巣みたいな罅《ひび》が拡がっているんだけど、窓の内側はそれでも静かで真っ暗なまま。人がいる感じは無い。画面の右側から腕が伸びてきて、メガホンのように丸められた先に火の点いた雑誌を投げ入れた。真っ暗だった部屋の中が少しずつ明るくなって来て……。画像とあたしがフリ―ズした処で動画が終わった。
「これって…」(放火の)と続けようとした言葉は喉に貼り付いて出て行かない。さすがにバイクの事で頭が惚けていたあたしにも、優の言いたい事が分かった。
「他にもあんの?」
「あるよん。後二つ。見る?」
「う~ん。今はいいや。スマホに送っといて」
「りょ」
カウンターに座り直すと、指一本で四つの動画全てを送ってくれる。あたしは手を洗うと、ミルクティ―の入ったグラスを優の前に置いた。
「ん?」
走って来たみたいだったから、ここは敢えて冷たいのにしてみた。ちょっと攻めてみた冬の日。
「良かったら飲んで」
あたしの言葉に優はニンマリして、氷の入ったグラスに口を付けた。それから、そう言えばという感じで「双葉は仕事中?」と、座敷に目を向ける。「うん」と頷いて、時計を見ると四時三十分。店に入るのちょっと早かったかな。
「これで今日はお仕舞いの筈だから、後三十分位じゃない」、思い出して「お客さんみゆだよ」と付け足すと、カ―テンの向こうから「優久しぶり~」とみゆの声。
「みゆ先輩こんちはっす」
ボウルに入った鶏肉を、タッパ―に入れ替えて冷蔵庫の中へ。
「でもさぁ、これで放火の犯人も捕まんじゃね」と、ネイルした爪でグラスの中の氷を掻き混ぜながら優の軽い調子。
「なんで放火の犯人が捕まんの?」
考え無しに頭の中をそのまんま口にしたあたしに、しょうがないなあと姉さんぶった感じを全面に押し出して優が続ける。
「だってさあ、ほら、あのス―パ―の食材に楊枝《ようじ》刺してイタズラした奴とか、走ってる車のボンネットの上に乗ってる動画とか、法律に違反する様な動画をupした奴は警察も探すから、今までだってみんな捕まってんじゃん」
その位常識だろって感じで、横目であたしを見たままグラスを持ち上げて氷を口に含む。なんかこいつ、ちょっとカッコつけてんな。…でも、動画が四件に火事も四件。太一が話してくれた噂通り、やっぱり放火だったんだ。
「…成る程ね」
言われてみれば、ネットニュ―スでちょっと前にそんなのを見た気もするし。四件目の火事があったあの夜、炎の揚がる直前に堤防の上でぶつかった二人組が何となく気になっていたんだけど、放火の犯人が捕まるって優の口から聞いたら、なんだかほっとした。…あの夜から一ヶ月とちょっと。左足の固定も取れて今では湿布だけだし、なんだか胸の中も左足もちょっと軽くなった気までしてくる単純なあたし。
「氷うまっ!」
つけまバッチリの目をこれ以上無い程見開く優。今日のカラコンはブル―。この人は一体何を基準にして毎日のカラコンの色を決めてんだろ。
「氷の溶けたミルクティ―って飲むとき上の水だけ来るからさ、濃いめのミルクティ―で氷作ってみたんだけど」
「い―じゃんこれ。店で出すやつ?」
「面倒くさいし、夜は頼む人も居ないっしょ」
「それな」と返して、又ニンマリする。優はこう見えてって言い方も失礼だけど、SEの仕事をしていて、あたし達の周りでは唯一のIT系女子。仕事はほぼゝ在宅で、会社に顔を出すのは月に一回か二回の筈だ。小さい頃からパソコンで遊ぶのが好きだっただけなんて優は言ってるけど、顔に似合わずって、あ、これも失礼だけど、地頭がいいんだろうなっていうのが、あたしと双葉共通の見解。自分の家の事はあんまり話さないけど、双葉からはお父さんもお母さんも働いていて、二人とも滅多に家に帰って来ないって話を聞いた事がある。優は隣の小学校で、双葉とつるむようになったのは中学校に入ってからだから、当然あたしとの付き合いもそっからで、まだ三年位のもんだけど、卒業してから此方《こっち》、殆ど一緒に居る所為《せい》か最近じゃ家族の一員みたいな気さえしてる。飾らなくて気取らない優が、あたしは結構好き…なのかも知れない。
優が二つ目の氷をガリガリ噛んでいると、仕切りのカ―テンが開いてみゆが座敷を降りて来た。
「ちゃっす」
「ハッセナバシ~、優」
舌ったらずで甘える様な話し方をするけど、みゆは双葉と優の一コ上で一樹と同い年の中学からの先輩。イラン人のお父さんと日本人のお母さんを持つmix《ハ―フ》。で、さっきの「ハッセナバシ」はペルシャ語で「お疲れ様」って意味だとか…言ってた気がする。…確か。…いや、多分。彫りの深い顔立ちで、街を歩いているとよく英語で話し掛けられたりもするらしいんだけど、歴《れっき》とした日本生まれの日本人。今はパブスナックで日々真面目に働く現役のキャバ嬢だ。あ、キャバクラじゃないからキャバ嬢とは言わないのかな?そこら辺良く分かんないけど。
「はなみ~何かちょうだい。喉渇いた~」
優の隣に座ったみゆの前に、ジャスミン茶にミントの葉を一枚浮かべて置く。
「ありがと~」と、一息で半分程グラスを空けるみゆ。シャワ―でも浴びるのか、裏口から出て行こうとする双葉を目で追いながら顔を振ると、鍋が吹き零れているのに気が付いた。慌てて火を消して、用意しておいた笊《ざる》の中にジャガ芋を空けると、湯上がりで盛大に蒸気を揚げホッと一息ついてる処を、委細構わず皮を剥いていく。ツルツルお肌に生まれ変わったジャガイ芋達。それを今度はピカピカに磨かれたボウルの中から此方《こちら》を見返すあたしの顔の上に置いていく。今日の突きだしはポテトサラダと蒟蒻《こんにゃく》の煮物。湯気の揚がるジャガ芋を見てると、バタ―付けて齧り付きたくなるのってあたしだけかな?先天的にDNAに組み込まれているのか、一度もそんな食べ方した事も無いのに不思議だ。
「い~な~、優は自由で~」
カウンタ―に背を向けているあたしの後ろで、みゆのハスキ―な声が聞こえる。
「それがぁ、っぽく見えるだけで、そうでもないんですって」
「だって~、遅刻とか無いし~時間に縛られないじゃ~ん」
「まぁ、そう言っちゃそうなんですけど…ってみゆ先輩、今日は出勤ですよね」
「うん。昨日は休みだったんだけど~、今日は9時から~」
ダルッと呟いてカウンタ―に顔を伏せると、そのままの姿勢で「あたしにもさっきの動画送って~」と、口籠った《くごもった》声で優におねだりしている。
「いいですよ。あれ?じゃあ今日は店出てもお酒飲まない方がいいんじゃないですか」そうやって喋りながらも、そのまま優は早速携帯をタップ。刺青を入れた当日のお酒云々《うんぬん》は、この前双葉に言われたのを覚えていたに違いない。
「そう。だから~ホントは昨日来たかったんだけど~、ママとディズニ―ランド行ってたから~」
「お母さんとディズニ―ランドって、どんだけ仲良いんですか」
みゆのお母さん、千枝ちゃんはディズニ―好きが高じて《こうじて》、お店の名前も"魔法の絨毯《じゅうたん》"にした程。察しの通りみゆの働くパブスナック"魔法の絨毯"はみゆのお母さんがオ―ナ―。みゆからしたらママで"ママ"って訳。
「そう言えば優、塚本って知ってる~?」
「塚本って…、どこの塚本ですか?」
「南中~。あたし達が三年の時とか~、うちの学校の周り単車で何回か走りに来た事もあって~、一樹とよく喧嘩したりしてたんだけどな~」
「あ―ね、塚本って名前は知らなかったけど、その件なら知ってますよ。バイクに乗ってるとこ一樹先輩にラリアットされて、のびちゃった奴ですよね」
「そう!そいつ~。あたしラリアットされて1回転すんの初めて見たもん」そう言ってみゆが笑うと、優も大笑いで続く。
「一樹先輩プロレス好きですもんね」
「そうそう一樹も~、思いっきりプロレス出来て喜んでたんじゃない。いつも塚本が帰る時は~、又遊びに来いよ~とか言ってたもん」
「ははっ。…そんで、そのラリアットがどうかしたんですか?」
「最近よく5・6人で飲みに来ててさ~。なんか金持ってそうだったから~、何の仕事してんのかな~と思って、優って南小じゃなかった~?」
「あ、そうですよ。南小ですけど、一コ上で塚本……覚えて無いなぁ…」
「いや別にいいんだけど~。あいつら酔っぱらうと酒飲ませようとしてしつこいんだよね~」
「あんましつこかったら、ロ―プに飛ばしてラリアットじゃないっすか」
「店にロ―プ無いし~」とみゆが言って、二人が又笑う。
潰したジャガ芋に塩とマヨネ―ズで味付けして、軽く黒胡椒を挽く《ひく》。
外階段を降りて来る足音が聞こえて、双葉が戻って来た。店に入って来ると、缶ビ―ルを片手にカウンタ―じゃなく小上がりに腰を下ろす。
「双葉~。次は今月末の木曜日なんだけど~、大丈夫~?」
「時間だけメ―ルで送っといてくれれば」
双葉の言葉が途切れるタイミングに合わせたみたいに、空気が震える程の派手な単車の音が近付いて来て、店の前でピタリと止まった。
「来たんじゃないっすか」今度は優のその言葉が終わると同時に引き戸の鐘が鳴って、みゆママが入って来る。「おはよ~」
『おはようございます』あたし達三人の声が揃う。
じゃあね~と、カウンタ―の上に小銭を並べて、みゆが椅子を降りた。
「一樹に、たまには飲みにおいでよって言っといて」
手を振りながら「ショ―トも似合ってんじゃん」と双葉に微笑みかけて、みゆママが出て行く。引き戸の向こうで、みゆの「余計な事言わないでよ~」って、ちょっと怒ったような声がした。みゆママが何か言い返したみたいだったけど、直ぐに雷様が怒ったみたいな凄まじい音が重なって聞き取れなかった。あ、一つだけ忘れちゃならない内緒の話。みゆママに「千枝ちゃん」って名前呼びは禁止。何がお気に召さないのか、人が変わったみたいに怒り出すんだから。
──カラ・コロ・カラン
「べらぼうな音だねえ。みゆちゃん達かい?」
入れ違いにニコニコときむ爺が入って来る。「仲良いよなぁ」と呟いた優の声は、何の色付けも無く素直で、羨ましそうな響きを少しも隠していなかった。
「誰かと思えば優ちゃんじゃねえか。こんにちは」
「こんちは」
じゃあ、あたしも帰ろうっと、誰にともなく言って、優が椅子を降りる。座敷でテ―ブルの位置を直していた双葉の「送って行こうか」と言う声を、振り返らず「大丈夫」と打ち返す優。引き戸を開けた処で一旦振り返ると、きむ爺に全力の変顔を噛まして、ウィンクを置き土産に帰って行った。
その後、一樹に見せるのは犯人が捕まってからにしようと言う双葉の意見で、動画の件は一樹に内緒にする事にした。「仕事放ったらかして犯人探しとか言い出したら面倒だからね」と付け加えた双葉の説明には、あたしも激しく同意だったからね。