惡ガキノ蕾
~H31.2.7 だんごとの思い出~
大急ぎで店の掃除を済ませて、やっとこさ準備が終わったのが七時三分前。厨房の中の掃除はきむ爺にも手伝って貰って、ぎりセ―フ。
──カラ・コロ・カラン
そんじゃあ始める前に一服、と思っていたのに…。な―んてあたしの気持ちを無視して、近頃口は勝手に働いてくれる。「いらっしゃいませ―」
引き戸を引いたのは見知ったと言うよりは、もう見飽きた顔の一樹と力也だった。でも、それにしちゃバイクの音がしなかった事を不思議に思って、「バイクどうしたの?」と聞いてみる。
「パンクしちまって、現場に置いて来た」
砕石《さいせき》の中に入ってた番線踏んじまったみたいでよと続けて、悔しそうに唇を尖らす一樹。
「という事で、明日も頼むよ力也ちゃん」
「仕方ないだろうな」
「明日も一緒なんだ?」
「おぅ。力也だけじゃねえけどな。明日は太一も一緒だし、今日も多分後から来るんじゃねえか」
「あ―そう」
カラ・コロ・カラン──
本日の二組目は、お見受けする処、二十代前半の会社員。職場の同僚って感じで仲の良さそうな四人組だ。座敷に通して注文を聞いていると、一樹がカウンターの中に回るのが見えた。──助かります、お兄様。
ビ―ルを抜いて勝手に飲り《やり》始めてる一樹達に突き出し《つきだし》を出そうとする手を、きむ爺が止める。そんじゃあお委せ《おまかせ》しますという事で、あたしは座敷で頼まれている"取り敢えずビ―ル"を二本運ぶ事にした。一樹と力也の前にお刺身とつけダレを並べるきむ爺が、「奥にも持っていってやんな」と、同じ物を四つ盆に載せてくれる。珍しっ。なんの魚だか知んないけど、突き出しに刺身なんて出した事無いのに。
その刺身を口にして、一樹と力也が目を丸くする。
「…うっ…まっ」「なんだこれっ、やばいな」
座敷からも「美味しい」、「旨いっ」と声が返った。
「きむ爺。こんなのお通しで出して貰ちゃっっていいの?」と言う力也に、気に入らなきゃ引っ込めようかと笑って於て《おいて》、
「うちの伜《せがれ》送って来て貰って、明日も世話になるって言うんじゃあ、こん位なんでもねえよ」と、流した庖丁の水気を拭う。いやぁ、様になってるなぁ。
力也の横でその台詞を耳にした一樹が、刺身を口にした時よりも満足気な表情を浮かべる。パンクの件は刺身ときむ爺の言葉で、もう頭から消えたみたい。伊達《だて》に年は喰っちゃいないねぇ、きむ爺。
段々と一樹の呂律が回らなくなってきて、八時を回った時計の針が"へ"の字になった頃、太一が入社したばかりだという後輩を連れてやって来た。
カラ・コロ・カラン──
「あ」
太一の肩越しに顔だけを覗かせて、「お疲れっす―」と挨拶した男の口から出た単語は、五十音の一番最初の一語。国語辞典でも多分そう。それを聞いて、その男を目にしたあたしの口から出たのも同じく、
「あ」
あたしの視線の先、口を開けたまんまのマヌケ顔で突っ立ってるその男。
…四年、いや…五年かな?久し振りに見た"だんご"は、背が伸びているものの、顔には充分に小学生だった頃の面影を残していた。"竹田慎吾《たけだしんご》"あだ名は"だんご"。お父さんの仕事だとか何だとかで、四年生の時に引っ越して行った元クラスメイト。あの頃は未だ、チビで躰も細かったのに…、大きくなったんだねえ。ちょっとびっくり。
「なんだよ、なんだよ、ひょっとしてお前ら知り合い?…ああそうか、そう言えばお前小学校の時はこっちに住んでたとか言ってたもんなあ」
太一に振られてだんごが話し始めたのは、あたしとは小学校の一年生から転校する四年生の時まで同じクラスだった事、それから──
話の向かって行く先に漂う不吉な気配を逸早く《いちはやく》感じて背筋が寒くなったあたしは、お座敷に器《うつわ》を下げに行くという、あたしにしか出来ない大仕事を見付けて、カウンタ―をそっと離れた。
──百二十秒後、カウンタ―から「ドオォッ」といった笑い声、と言うよりは喚声が揚がった。…あの野郎、喋りやがったな。イラッとしたのが顔に出たのか、目の前に座っていた女性のお客さんが慌ててテ―ブルの上に置かれた空いてる器を片付け始め、丁寧に重ねてわざゝお盆に載せてくれた。いかん、いかん。無理くり笑顔を作り、頭を下げて座敷を辞する。
カウンタ―に戻って来たあたしを見て、更に爆笑する一樹、太一、力也の三バカトリオ。
あたしは下げて来た器をシンクに突っ込んで、だんごを睨んだ。だんごは、いかにも壁に並んだメニュ―の書かれた短冊を目で追う風に、あたしから視線を外す。…って、おいおい。そっちの壁には何にも貼ってないけど、どういう事?
余程その白い壁が気に入ったのか、だんごはそれからきっちり五分間、百八十度首を後ろに回したまま壁を眺めていた。
だんごが転校して行ったのは、小学校四年の終わり。転校するだんごの為に開かれたお別れ会でそれは起こった。あたし的には、出来る事なら消し去りたい黒歴史の一幕。誰が決めたんだかお別れ会の最後を飾るプログラムは、フォ―クダンス。クラス全員が輪になって、男の子と女の子のペアが曲に合わせて踊りながら、相手が順番に替わっていくあれ。手を繋いだ思春期前の男女が、意識し過ぎて顔から一切の表情を消し去り、感情を持たぬ人形と化して踊るあれ。
──無駄に陽気なリズムで前奏が始まる。あたしの隣にはだんご。あたしが右手を自分の肩越しに後ろに回すと、何を思ったのか、それとも緊張し過ぎて気が触れたのか、同じく右手で掴むべきあたしの手を、だんごは左手で掴んだ。当然あたしの左手は空いてる右手で掴むもんだから、あたしは両方の手を後ろに回す事になる。結果、他のペアが横並びしている中、あたしとだんごだけが前と後ろに整列する形態を取った。だんごは両手をクロスさせたまんまで。其処《そこ》で一度手を離して仕切り直せば良かったのに、何故か頑なに《かたくなに》あたし達はリセットを拒否。無慈悲に音楽は進んで行って、女の子達は次々とその場でタ―ンを決めていく。あたしも強引に回転しようとして、だんごの手を頭越しに引き寄せる。この当時は今と違ってあたしの方が背が高かったから、だんごは殆ど爪先立ちの態勢で腕をしならせる事態となり、顔は真っ赤。痛みに耐え切れなくなっただんごが左手を引く。今度は引っ張られた自分の自分の右腕で、あたしの首が締まる。真面《まとも》に呼吸する事が出来ずに意識が薄れて来て、よろめくあたしはバランスを崩した。その時、倒れないようにと踏み変えた足がタイミング良く…、いや悪く、だんごの足を引っ掛けて…。──上半身をコブラツイストみたいにホ―ルドして、後ろ向きに倒れていくあたしとだんご。其の後、一旦意識が途切れて、走馬灯のように途切れゝながら覚えているのは、隣同士で寝かされ運ばれて行く救急車の車内の様子と、笑いながら治療してくれている若先生の髭面《ひげづら》。その悪夢のようなお別れ会から二日後、クラスのみんなの前で別れの挨拶をするだんご。泣いてんのが首から提げたギプスの所為《せい》で、別れが悲しいのか腕が痛いのか分かんなくなっちゃって、先生に心配されていただんご。それを見ている同じく首からギプスを提げたあたし。でも、それもこれも、今になって思えば、全てが懐かしくて楽しかった思い出。
…んな訳ね―し。恥ずかしい以外の感情湧いて来ね―し。無意識の内に力が入って、握り締めていたスポンジから洗剤が滴り《したたり》落ちる。シンクに浸してあった食器を手に取ると、「お会計して下さ―い」と
座敷から声が掛かった。帰り際、きむ爺です「ご馳走さま」と声掛け四人組が出ていく。あたしは苦い思い出を洗い流すように、皿を洗う手に力を込めた。
──カラ・コロ・カラン
入れ替わりに、年配の二人連れが暖簾《のれん》を潜る《くぐる》。座敷の一番奥に席を取ったのは、きむ爺とさほど年が変わらなそうなご夫婦だった。旦那さんの草履を揃えるおばあさんの姿に癒されたのか、少しの間苛立ちが消える。めでたしめでたし…とはならないけどね。
大急ぎで店の掃除を済ませて、やっとこさ準備が終わったのが七時三分前。厨房の中の掃除はきむ爺にも手伝って貰って、ぎりセ―フ。
──カラ・コロ・カラン
そんじゃあ始める前に一服、と思っていたのに…。な―んてあたしの気持ちを無視して、近頃口は勝手に働いてくれる。「いらっしゃいませ―」
引き戸を引いたのは見知ったと言うよりは、もう見飽きた顔の一樹と力也だった。でも、それにしちゃバイクの音がしなかった事を不思議に思って、「バイクどうしたの?」と聞いてみる。
「パンクしちまって、現場に置いて来た」
砕石《さいせき》の中に入ってた番線踏んじまったみたいでよと続けて、悔しそうに唇を尖らす一樹。
「という事で、明日も頼むよ力也ちゃん」
「仕方ないだろうな」
「明日も一緒なんだ?」
「おぅ。力也だけじゃねえけどな。明日は太一も一緒だし、今日も多分後から来るんじゃねえか」
「あ―そう」
カラ・コロ・カラン──
本日の二組目は、お見受けする処、二十代前半の会社員。職場の同僚って感じで仲の良さそうな四人組だ。座敷に通して注文を聞いていると、一樹がカウンターの中に回るのが見えた。──助かります、お兄様。
ビ―ルを抜いて勝手に飲り《やり》始めてる一樹達に突き出し《つきだし》を出そうとする手を、きむ爺が止める。そんじゃあお委せ《おまかせ》しますという事で、あたしは座敷で頼まれている"取り敢えずビ―ル"を二本運ぶ事にした。一樹と力也の前にお刺身とつけダレを並べるきむ爺が、「奥にも持っていってやんな」と、同じ物を四つ盆に載せてくれる。珍しっ。なんの魚だか知んないけど、突き出しに刺身なんて出した事無いのに。
その刺身を口にして、一樹と力也が目を丸くする。
「…うっ…まっ」「なんだこれっ、やばいな」
座敷からも「美味しい」、「旨いっ」と声が返った。
「きむ爺。こんなのお通しで出して貰ちゃっっていいの?」と言う力也に、気に入らなきゃ引っ込めようかと笑って於て《おいて》、
「うちの伜《せがれ》送って来て貰って、明日も世話になるって言うんじゃあ、こん位なんでもねえよ」と、流した庖丁の水気を拭う。いやぁ、様になってるなぁ。
力也の横でその台詞を耳にした一樹が、刺身を口にした時よりも満足気な表情を浮かべる。パンクの件は刺身ときむ爺の言葉で、もう頭から消えたみたい。伊達《だて》に年は喰っちゃいないねぇ、きむ爺。
段々と一樹の呂律が回らなくなってきて、八時を回った時計の針が"へ"の字になった頃、太一が入社したばかりだという後輩を連れてやって来た。
カラ・コロ・カラン──
「あ」
太一の肩越しに顔だけを覗かせて、「お疲れっす―」と挨拶した男の口から出た単語は、五十音の一番最初の一語。国語辞典でも多分そう。それを聞いて、その男を目にしたあたしの口から出たのも同じく、
「あ」
あたしの視線の先、口を開けたまんまのマヌケ顔で突っ立ってるその男。
…四年、いや…五年かな?久し振りに見た"だんご"は、背が伸びているものの、顔には充分に小学生だった頃の面影を残していた。"竹田慎吾《たけだしんご》"あだ名は"だんご"。お父さんの仕事だとか何だとかで、四年生の時に引っ越して行った元クラスメイト。あの頃は未だ、チビで躰も細かったのに…、大きくなったんだねえ。ちょっとびっくり。
「なんだよ、なんだよ、ひょっとしてお前ら知り合い?…ああそうか、そう言えばお前小学校の時はこっちに住んでたとか言ってたもんなあ」
太一に振られてだんごが話し始めたのは、あたしとは小学校の一年生から転校する四年生の時まで同じクラスだった事、それから──
話の向かって行く先に漂う不吉な気配を逸早く《いちはやく》感じて背筋が寒くなったあたしは、お座敷に器《うつわ》を下げに行くという、あたしにしか出来ない大仕事を見付けて、カウンタ―をそっと離れた。
──百二十秒後、カウンタ―から「ドオォッ」といった笑い声、と言うよりは喚声が揚がった。…あの野郎、喋りやがったな。イラッとしたのが顔に出たのか、目の前に座っていた女性のお客さんが慌ててテ―ブルの上に置かれた空いてる器を片付け始め、丁寧に重ねてわざゝお盆に載せてくれた。いかん、いかん。無理くり笑顔を作り、頭を下げて座敷を辞する。
カウンタ―に戻って来たあたしを見て、更に爆笑する一樹、太一、力也の三バカトリオ。
あたしは下げて来た器をシンクに突っ込んで、だんごを睨んだ。だんごは、いかにも壁に並んだメニュ―の書かれた短冊を目で追う風に、あたしから視線を外す。…って、おいおい。そっちの壁には何にも貼ってないけど、どういう事?
余程その白い壁が気に入ったのか、だんごはそれからきっちり五分間、百八十度首を後ろに回したまま壁を眺めていた。
だんごが転校して行ったのは、小学校四年の終わり。転校するだんごの為に開かれたお別れ会でそれは起こった。あたし的には、出来る事なら消し去りたい黒歴史の一幕。誰が決めたんだかお別れ会の最後を飾るプログラムは、フォ―クダンス。クラス全員が輪になって、男の子と女の子のペアが曲に合わせて踊りながら、相手が順番に替わっていくあれ。手を繋いだ思春期前の男女が、意識し過ぎて顔から一切の表情を消し去り、感情を持たぬ人形と化して踊るあれ。
──無駄に陽気なリズムで前奏が始まる。あたしの隣にはだんご。あたしが右手を自分の肩越しに後ろに回すと、何を思ったのか、それとも緊張し過ぎて気が触れたのか、同じく右手で掴むべきあたしの手を、だんごは左手で掴んだ。当然あたしの左手は空いてる右手で掴むもんだから、あたしは両方の手を後ろに回す事になる。結果、他のペアが横並びしている中、あたしとだんごだけが前と後ろに整列する形態を取った。だんごは両手をクロスさせたまんまで。其処《そこ》で一度手を離して仕切り直せば良かったのに、何故か頑なに《かたくなに》あたし達はリセットを拒否。無慈悲に音楽は進んで行って、女の子達は次々とその場でタ―ンを決めていく。あたしも強引に回転しようとして、だんごの手を頭越しに引き寄せる。この当時は今と違ってあたしの方が背が高かったから、だんごは殆ど爪先立ちの態勢で腕をしならせる事態となり、顔は真っ赤。痛みに耐え切れなくなっただんごが左手を引く。今度は引っ張られた自分の自分の右腕で、あたしの首が締まる。真面《まとも》に呼吸する事が出来ずに意識が薄れて来て、よろめくあたしはバランスを崩した。その時、倒れないようにと踏み変えた足がタイミング良く…、いや悪く、だんごの足を引っ掛けて…。──上半身をコブラツイストみたいにホ―ルドして、後ろ向きに倒れていくあたしとだんご。其の後、一旦意識が途切れて、走馬灯のように途切れゝながら覚えているのは、隣同士で寝かされ運ばれて行く救急車の車内の様子と、笑いながら治療してくれている若先生の髭面《ひげづら》。その悪夢のようなお別れ会から二日後、クラスのみんなの前で別れの挨拶をするだんご。泣いてんのが首から提げたギプスの所為《せい》で、別れが悲しいのか腕が痛いのか分かんなくなっちゃって、先生に心配されていただんご。それを見ている同じく首からギプスを提げたあたし。でも、それもこれも、今になって思えば、全てが懐かしくて楽しかった思い出。
…んな訳ね―し。恥ずかしい以外の感情湧いて来ね―し。無意識の内に力が入って、握り締めていたスポンジから洗剤が滴り《したたり》落ちる。シンクに浸してあった食器を手に取ると、「お会計して下さ―い」と
座敷から声が掛かった。帰り際、きむ爺です「ご馳走さま」と声掛け四人組が出ていく。あたしは苦い思い出を洗い流すように、皿を洗う手に力を込めた。
──カラ・コロ・カラン
入れ替わりに、年配の二人連れが暖簾《のれん》を潜る《くぐる》。座敷の一番奥に席を取ったのは、きむ爺とさほど年が変わらなそうなご夫婦だった。旦那さんの草履を揃えるおばあさんの姿に癒されたのか、少しの間苛立ちが消える。めでたしめでたし…とはならないけどね。