惡ガキノ蕾
  ~ホテルでバイキングのち征十郎~
 学校や剣道部のみんなと別れた後、ホテルへと向かう道。律っちゃんの後ろを歩く双葉の横で、優のポニ―テ―ルが右に左にと揺れている。竹刀と胴着袋を肩に担いだ凜とあたしは一番後ろ。隣を歩く凜からは、試合場でのあの張り詰めた感じは跡形も無く消え去って、戯けた《おどけた》調子で「おなか減り過ぎて眠くなってきた」と、雪山なら命の危険に関わるような症状を訴えている。
 小さく見えていたホテルが、やっと目の前にその全体像を見せて来た処で、信号が焦らすように赤に変わった。
「ねえ、凜」
「ん?」
「凜って試合してる時、どんな事考えてんの?」
「え―」と、遠い目をする凜。
「ん―、考えてるって言うか、なんかこう…試合してる時は、勝手に相手と会話してるようなつもりでいるかなァ…」
「会話?」
「うん。面打つよ。小手打つよ、とか。ここは攻められたら困る、と見せかけて一度引いて胴打ち。おっ、そう来たか、みたいなね。あんな短い時間にって思うかも知れないけど…」
 そこで一旦言葉を切ると、頭の中にその続きを探しているのか、一度瞼を閉じる。
「なんて言うのかな…。竹刀を持って相手と向かい合ってる一分間と、こうして街の中に居る一分間は、全然違う時間の流れなんだ」
 "流れなんだ"って言われても、これっぽっちも共感出来ないんすけど。
「でも、なんで?」
「う~ん…。剣道してる時って、楽しいのかな?って思ってさ。あたしは痛いのとか嫌だし、人と争ったりすんのも苦手だし、あの場所に立つ事なんて、多分一生無いと思うから」
「争う?…争うって言うか、勝ったり負けたりっていうのは、さっきの会話の流れみたいな物で、あ、私の場合は、だけど。だから、今日の試合だって相手が勝ってても全然おかしく無かったし、私が勝ったのなんて、たまゝ。そんな感じだから、私の場合、争ってるって感覚とはちょっと違うと思う。…それに、勝ち負けだけの為にあそこに立つ訳でも無いし…」
 目の前に拡がっている街の景色とは違う空間を見るように、凜の目線が少しだけ上がった。
「でも、楽しいよ。負けたら負けたで悔しい思いはするけど、でも勝てなくたって……うん、きっと負けても私は、次の日も竹刀を振ると思うから」
「ふぅ―ん」
 凜の答えを聞きながら、本当に凜の気持ちが知りたかったのか、自分に問い掛けてみた。上手く言えなかっただけで、そういうのとはちょっと違う気もする。単純に羨ましかったんだ、きっと。試合場に立つ凜が、普段、あたしの見ている凜の何倍も眩しく見えて、その理由が知りたくなったのかも知れない。何も無いあたしが寂しく思えたから…、なんちってね。
「ん?」
 あたしを映す凜の真っ直ぐな瞳。
「生意気言ってんじゃね―ぞ!」
 少し強めに凜の背中を叩く。そこで信号もその色を変えた。
「ひどっ、はなみが聞いてきたんでしょ!」
 早足で後ろを追て《ついて》くる凜。
 正直、凜の話はピンと来なかったけど、あたし自身も不思議に思っていた試合が終わった時の、あの涙の理由は分かった。そんな気持ちで竹刀を振る凜だからこそ、あの場所であんなに輝く事が出来るんだろう。だから剣道どころか、竹刀を持った事さえ無いあたしにだって、一瞬でもあんな感動をくれたんだ。追い付いて来た凜に顔を見られるのが嫌で、あたしは少し足を速めた。
 ホテルのバイキングは思っていた以上に豪勢で、「いい戦いをします」と言った優を筆頭に、皆が素晴らしい戦いを繰り広げた。中でも、特に品揃えが豊富だったスイ―ツ陣との後半戦。制限時間まで残り十五分を切ったこの勝負の山場には、律っちゃんを除く四人のうら若き乙女が、ほぼ手掴みで猛烈なラストスパ―トを見せたのだった。
 満足しきった表情を浮かべて、戦場《いくさば》を後にする五人の兵士達。
 一階のロビ―に降りると、ひと休みしてから帰ろうと言う律っちゃんの後に付いて、皆が喫茶スペ―スへと向かう。祭日と言う事も手伝って、ロビ―はなかゝの混み具合。都会のド真ん中からは暴投気味に外れた下町のホテルとは言え、そこは腐っても東京都内。それなりに毛足のある絨毯に、老若男女、人種を問わずと言った多種多様な人達が、皆一様にその足先を沈ませていた。平成生まれのあたしでも、つくゞグロ―バルな世の中への移り変わりを肌で感じる今日この頃。三ヶ月先には、文字通り時代が変わる平成の終末。ロビ―に薄く流れるクラシックは、時代も人種も国境も越えて生き永らえているモ―ツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調。
 奥まった場所に空いているテ―ブルを見付けて、みんなに声を掛ける。あたしの指差した先へと向かう双葉と優。あたしは凜と二人で、カウンタ―で注文を続ける律っちゃんにテ―ブルの場所を伝えてから、双葉達の元へと向かった。躰より視線の方が先に、双葉達に追いついた。
 観葉植物の陰になっていて相手の姿は見えないけど、だんご優の隣で双葉が誰か他の人と話をしている、しかも笑顔で。…もしかして、まさかのナンパか!?テ―ブルと人の間を縫うようにして進むあたしと凜。言い知れぬ感情に背中を押されて、自然と早足になる。近付いて行くにつれ、観葉植物に隠れていた人物が、その姿を徐々に現して来た。………。──痛。急停止から回れ右した途端、すぐ後ろを付いて来ていた凜に打つかった。
「いったいっ。何、はなみ!いきなり止まって!」
「しっ!静かに!」
「えっ?」
 あたしに武道の心得が無くて本当に良かった。何故なら、もし有ったなら多分、有無を言わさず凜に当て身でも喰らわせて、気を失わせていた筈だから。
「はなみ!凜!こっちだよ、こっち!」
 気付かれた―っ!背後から肩を叩く能天気な優の声。ちっ、頭の中でその顎にエルボ―噛ましてから、深い溜め息と共にゆっくりと振り向いた。双葉の隣に立っていたのは、二度と会わなければいいのにと願っていた、まさかの征十郎とその仲間達御一行。スキンヘッドとパンチパ―マの助さん格さんも勿論健在だった。近くのテ―ブルには、会場の役員席に居たス―ツ姿のおじ様達が数人、席を同じくしている。
「凜!」と、思っていたより若く弾みのあるスキンヘッドの声。
「和男先生!辰雄先生!」
 先生って…?ってか凜も知り合いって何故に…???
 ──凜の説明を受けて分かったのは、まず助さん格さ…じゃ無くて、スキンヘッドが瀧澤和男、パンチパ―マが岩田辰雄と言って、二人はなんと元警察官だと言う事。しかも双葉と凜を少年剣道クラブで指導してくれていた先生だと言う話だった。征十郎はその二人が所属していた道場の館長で、その道場には双葉も凜も度々顔を出していたんだって。驚かせられるばかりのそんな話の中でも一番意外だったのは、双葉と話す征十郎が終始、診療所でお目に掛かった時とは別人のような笑顔で接していた事。もしかしたら…、僅《わず》かな…、ほんの僅かな確率ではあるけれど、征十郎ってほんとは造り物でも、魔界からの使者でも無いのかも知れない。呆気《あっけ》に取られているあたしの視線の先で、診療所での出来事を知らない双葉が、突然、悪意の無い拷問、即ち《すなわち》、今あたしが最も避けたいメンバ―紹介をし始めた。
「あたしの友達の優と、向こうで凜と一緒に居るのが妹のはなみ」
「こんちは」って、優が軽く頭を下げる。流れから、征十郎の視線がゆっくりと優からあたしへと向かって来る。触れたらきっと、火傷じゃ済まないレ―ザ―ビ―ム張りの危険な眼差し。あわ…あわゎ…ヤバッ、あたしの顔覚えてるかな?いや、そもゝあんな事されたら忘れる筈がないか。…なんて言ってる場合じゃ無いし、時間も無い。本格的にやばい。どうする?どうしたらいい?うう…ううう…うぅぉぅ―!
「あん?はなみ、何やってんの?挨拶位しなよ」
「あぅぅ、こんしゃちあ。…はずえあして…」
「何それ…なんでそんなしゃくれてんの?普通にしなよ」
「うふぇっ?いあ、ふふうだしぇ」
「──はなみ」
あたしの名を口にした双葉の顔から表情が消えて行く。
 此方《こっち》もやばい。百パ―イラッと来てる。どうしよう?あたしの顔をもし征十郎が覚えてたら、それこそどうされちゃうのあたし?かと言って、これ以上双葉を怒らせる訳にもいかないし…。こういうのをなんて言うんだっけ?確か…顔面が虎、肛門が狼とか何とか…いや、でもこの場合、肛門より黄門の方がって、おい!どっちにしろやばい!うう…消えろ!こうなったら、今すぐ消えて無くなるんだあたし!
「あら、唐木さん」
 そんなあたしの焦《じ》れた胸の内を知ってか知らずか、抜群に気の抜けた声の主は、注文を終えて戻って来た律っちゃんだった。
「はなみ覚えてる?前にうちの診療所で一緒になったでしょ。ほら、何時《いつ》だったか、あんたがマッサ―ジの途中で勝手に帰っちゃったあの時」
 ───終わっ…た……。目に映る全ての物から色素が抜け落ちて、視界が白く染まって往く《ゆく》。
 律っちゃん、あんたのお陰で全てが水の泡だよ。もう誤魔化せないと観念したあたしは、征十郎に向かって素顔を晒《さら》す事にした。和男と辰雄に挨拶する律っちゃんの声が耳を通り過ぎて行く。…だけど、あたしの心配を他所《よそ》に征十郎は、「はい、こんにちは」と、表情を動かさずに言っただけで、直ぐに双葉との会話に戻って行った。拍子抜けはしたものの、この時ばかりは特徴の無い顔に産んでくれた両親に、あたしが深く感謝したのは言うまでも無いだろう。
 帰り道での律っちゃんの話では、あの日征十郎の右腕は肉離れを起こして、あの後もう一度診察を受け直したという事だった。その所為《せい》で、受付にもう一度戻って来たパンチパ―マに変貌を遂げた辰雄先生に、律っちゃんも其処《そこ》で初めて気が付いたという訳。しかもその時征十郎は、自分で低周波治療器の調節を間違えたんだと説明していたらしい。
 家に帰ってから双葉から聞いた話は、更にあたしを驚かせる。双葉の彫り物の師匠、の師匠。"初代"っていうらしいんだけど、今はもう亡くなっちゃった、その"初代"が彫った刺青の突き直しとかいうのに双葉の師匠の処《ところ》にも征十郎が顔を見せる事が度々有って、住み込みをしていた頃も何度も顔を会わせていたんだって。確かに色々とおっかない噂も在るらしいんだけど、双葉の話も親身になって聞いてくれて、なんだかんだと良くしてくれるって言うし、"征十郎"って普通に呼んでる双葉の顔見てたら、怖さも人間ではないかも知れないという疑念も、ちょっとだけ薄れた。
 元警察官の和男と辰雄も、今では征十郎が会長を務める"ジャパン・セキュリティ・カンパニ― JSC"とか言う会社の重役だって言うし、確かに警察を辞めてまで付いて行こうって相手に、厭な奴は選ばないだろうしね。
 世界が狭いのか双葉の顔が広いのか。と言う訳で、この日からあたしのそれ程多くない知人の中で、向こうから声を掛けられない限り、街中で見掛けたとしてもシカトを決め込む上からナンバ―スリ―が決定したのであった。当分は入れ換えも変更も無いと言い切れそうなラインアップだ。ア―メンハレルヤ、我に幸あれ。
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