惡ガキノ蕾
 ~H.31.3.20水曜日 みゆからの連絡~
 春将軍がやっとの事で冬将軍を討ち果たしたのを期に、マスク人口は増え続ける一方の、三月も半ばを過ぎた二十日。今日は水曜日で店休日。
 柔軟剤の薫りに包まれて、洗濯物を飾り付けたベランダから駐車場の隅に立つ櫻の木を眺めていると、エプロンのポケットの中で震えるスマホが、メ―ルの着信を報せてくれる。
 "ワルガキ"とタグ付けされた一斉送信で、共有しているのはあたしの他に、双葉と優、それに差出人のみゆ。
(今日、塚本達~飲みに来るって~)
 メ―ルまで話す時と一緒で語尾伸ばすんだ~。今日は早くから出掛けて行った双葉も、出先でこのメ―ルを目にしている筈だった。覚悟を決めて打ち込んだ返信は四文字、(はいよ―)。
 ──遂に来た。画面を閉じて、櫻の木に目を戻す。未《いま》だ眠ったままの莟《つぼみ》を抱いて、枝が音も無く揺れていた。
 ……行ってきますだおかだ。
 ブルブルと武者震いの止まらないスマホを指で撫でる。──新着メ―ルが三件。
 優(りょ)、双葉(やろう)、みゆ(おけ~)。
 あの日、「そうなりゃさ…」と話し始めた双葉の計画は大体こんな感じ──
 みゆの処へ塚本達から飲みに来ると連絡があったら…って、今日の事なんだけど、あたしと優は予め《あらかじめ》店に出ていて、働いている他の女の子達と一緒に、塚本のテ―ブルにキャストとして付く。そんでもって、まずは塚本があたしの顔を覚えてるかどうかを確かめる。これは当然、あたしにしか出来ないあたしの役目ね。それと同時に、優が指輪野郎に、「その指輪って、動画に写ってるこれと一緒だよね?」とか何とか上手い事言って、例の鮮明にして拡大した指輪の画像を、携帯より画面の大きいタブレットを使って見せる。その反応を見て、相手の様子からもう疑う余地無しとなった処で、詳しい話をしたいからと塚本達全員を公園に呼び出す。そこで今度は待ち構えていた双葉が、放火の件を認めさせてから、放火と…もし今も続く落書きもそいつらの犯行だとしたら、両方共、もう二度としないって事を約束させる。塚本達に約束をさせて、それを守らせる具体的な方法迄は双葉は話さなかったけど、いざとなれば大通りを挟んで警察署も在るし、双葉の事だから、そこら辺はあたしが心配しなくても準備万端ぬかりは無いんだろうけど。まあ、もう公園に来た時点で放火の件は認めたのと同じだから、双葉の言う事に逆らうような真似はしないと思うんだ。
 それに、公園に来た後であの画像を持ったあたしが警察に駆け込んで、塚本達が公園に来る事になった過程を証言したら、放火を止める止めない関係無しに試合終了《ゲ―ムセット》だしね。
 みゆの店の開店は午後8時。塚本達が来るのは何時《いつ》も9時頃らしいけど、万が一を考えたら開店前には店に入っていたい処《ところ》。──スマホの中で14:09が14:10に変わる。家を出るのが7時として、後五時間弱。当たり前だけど、どんな時でも時計の針は人の気持ちに関係無く時を刻む。早く進んで欲しいのか、ゆっくり進んで欲しいのか、自分の気持ちだってどっちなのか良く分かんないんだけど…。時間と形の定まらない気持ちをもて余したあたしは、店の掃除を始める事にした。
 年末に掃除をしたとは言え、三ヶ月分きっちり溜まった換気扇の油汚れと、冷蔵庫の裏の埃《ほこり》。入り口の引き戸を開け放って、一人、地味な戦いを黙々と続ける。煤《すす》で変色した鍋をシンクに溜めたお湯に浸していると、頭の中で動画で見た場面が再生される。──割られた窓ガラス。段々と大きさを増していく炎。其処《そこ》にきむ爺の皺《しわ》の刻まれた横顔が割り込んで来る。
 鍋底を擦る《こする》手に自然と力が入る。お陰で思ったよりも時間が掛からず終わってしまい、蜂蜜たっぷりのホットミルクで一服していると、耳に馴染んだバイクの音が近付いて来て、カップの中の湖面が揺れた。
 ボ―ンボ―ン……。草臥《くたび》れたオンボロ時計が、かったるそうながら手抜きはせず、きちんと五回鐘を打つ。…もうそんな時間かぁ。
「ただいまっつおか修三」
「お帰り。早かったね」
「ああ。今日で遣り《やり》仕舞いの現場だったからな。張り切っちまって、猛烈に腹減ったわ」
「なんか作ったげるから、お風呂入って来ちゃえば」
「ほんとかよ!サンキュ」
 開けてあった入り口から顔だけ出してた一樹が、店には入らず外階段を上がって行く。あたしは鍋を火に掛けると、手を洗いながら頭の中に材料を並べ始めた。
 余程おなかが減っていたのか、二十分もしない内に戻って来た一樹が、タオルで頭を掻き回しながらカウンタ―の中に入って来る。
「後五分位で出来るから」
「あいよ」言って、冷蔵庫から取り出した缶ビ―ルに立ったまま口を付ける。「なんだか旨そうな匂いさせちゃってんじゃねえの」
 最初の一本を一息で空けて、ニコニコしながら新しい缶ビ―ルを手に、カウンタ―の表に回る一樹。
「双葉は?」
「用事でもあったんじゃない。朝から出掛けてる」
「へ―。…あ、はなみも飲むか?」
「いらない。あたしご飯食べたら出掛けるから」
「ああ、そうか」
 カウンタ―に丼《どんぶり》とさらし玉葱《たまねぎ》を盛った皿、とん汁を二人分並べる。
「おいおい。なんなんだよこの丼。めちゃめちゃ旨そうじゃねえか!こんにゃろ」
「牛肉丼。ご飯がガ―リックライスになってんだ。本で見付けて美味しそうだったから作っ…」「いただきます!」
 最後まで聞かずに箸を付けた一樹の勢いは凄まじく、ジッと見てたらおなか一杯になっちやいそうで、あたしも急いでお箸を遣い《つかい》始めた。
「うっ……ま!!」
 思わず口走った感じのその声は、何時もよりかなり大きめ。一樹の声の大きさは、それイコ―ル旨さの度合いだ。内心ガッツポ―ズのあたしは、鼻の穴がちょっと膨らむのを抑えられない。主婦の喜びってこういうのかしら。
 ものの五分も経たずに平らげて、横で一樹が立ち上がった。
「ご馳走さま!」
「あ…あいよ」
 シンクに浸した食器の中から、皿を一枚手に取る一樹。…あたしの方は見ようとせず、洗っている皿に視線を落としたままで──
「どこ行くんだ?」
「えっ…」なんだか声のト―ンが微妙に普段と違う気がする。いや、そう感じるのは今日の事を一樹に秘密にしているあたしが抱く、後ろめたさの仕業だろうか。「出掛けんだろ」「あ―、ちょっと優とかと…大した用事じゃないんだけどね」「…ふぅん」
 ……びっくりしたぁ。頭の出来じゃ、あたしとどっこいの筈の一樹が…。動物的な野生の勘みたいなもんだろうか、或《ある》いは、二年長く生きている兄の強みか。たま―にだけど、胸の中を見透かされてる気がする事があるんだよね。ほんと、た…ま―にではあるんだけど。
 器を洗い終わった一樹が、首に掛けたタオルで手を拭きながら裏口のドアの前で一度立ち止まる。
「気を付けろよ」「…え」「出掛けんだろ」「…あ―、大丈夫。…ありがと」普段と変わらない一樹の足音が階段を上がって行く。ドアの方を向いたままで話していた一樹がどんな顔をしていたのか気になったけど、上手く思い浮かべる事は出来なかった。
 口の中に、玉葱の仄かな《ほのかな》甘みとほろ苦さが残った、誰そ彼れ時。
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