ロゼリアの黒い鳥
「……あ……あぁ……」
自分で何を言おうとしているのかも分からない。上手く悲鳴を上げられないだけなのかもしれないが、言葉にならない声だけが口から滑り出た。
逃げなきゃ。そう二人に告げようと横目で見ると、デボラはもうすでにロゼリアから手を離し、一人で後退し始めていた。
ロゼリアを見捨てて一人で逃げるつもりなのだと絶望し、そして失望する。
アリシアだって自分の命が惜しい。逃げられるものならすぐにでも逃げ出したい。
けれども、それをするにはロゼリアを一人置いていくしかできないのだ。
この可哀想な花嫁を、殺人鬼に捧げるように。
「……黒い鳥、綺麗ねぇ」
「お嬢様……」
こんなときでも無邪気に笑うこの人を置いていくなんてやはりできない。
アリシアは頬を濡らす涙を袖で拭い、しゃくり上がる胸を懸命に鎮めながらロゼリアを抱き締めた。
その間も男は距離を縮めている。
近づけば近づくほどに、漆黒の服に混じって身体中にこびり付く血が見えて震え上がった。鼻孔にも嗅いだことのない血生臭さを感じて、思わず口元を手で覆う。
何ておぞましい。
デボラは主人を悪魔のようだと言っていたが、目の前の男こそが悪魔ではないだろうか。凄惨な殺し方をして、人を苦しませる悪魔。
そんな悪魔が今、アリシアの目の前に立ちはだかった。
息を呑み、そして呼吸が止まる。
身体のすべての機能を停止して、動かず音もたてずに微動だにしない。
そうしなければ、今すぐにでも男が襲い掛かってきそうな気がしたのだ。
ただ立ちすくみ、血に濡れた男の顔を注視し続ける。