エリート外科医は最愛妻に独占欲を刻みつける
瞬きをした拍子にぽろっと一粒、零れ落ちた涙を慌てて片手で拭い去る。泣きたい衝動は引っ込んでくれたので助かった。
「今からご飯食べて待ってようかなと思ったところです。ずっとここで立ってるつもりじゃないですよ」
「相変わらず忠犬だね」
彼を待つこと自体が忠犬だと高野先生は言いたいらしい。
呆れたような表情で近づいてくると、彼は私の目の前で立ち止まった。帰るのなら、そのまま横を通り過ぎて改札に向かえばいいのにと首を傾げる。
「高野先生?」
呼びかけても返事がなく戸惑っていれば、彼は感情を心の奥に引っ込めるように無表情になった。何を考えているのかわからない目で見つめられ、私は何か不穏な空気を感じ気圧されるように一歩後ずさる。
しかし、即座に伸びてきた手に腕を掴まれ逃げられなくなった。
「先生? あの」
「伊東先生待つだけだろ。来るまでちょっと付き合って」
「え、ええっ」
私の返事を聞くつもりはまったくないらしい。あの日、ここで同じように誘われた時よりもずっと有無を言わせぬ強引さで、彼は私の手を引いた。
少し早歩きで駅から離れていく。
「ど、どこに行くんですか。私、待ってないと」
「待たなくてもいなけりゃ電話してくるだろ。普通そうだよ」
吐き捨てるような投げやりな口調に聞こえて、なんて言い返せばいいかわからない。それに、ほんの少しだけ、ズルい考えが浮かんだ。
私がいつもと違う行動をしたら、さすがに直樹さんも心配してくれるかもしれない。
深呼吸をすると、春先の夜の少し冷えた空気が肺の中まで入り込む。進行方向の少し上に、まだ宵の明星が見えていた。