泣きたい訳じゃない。
「彩華ちゃんの元彼とか?」

兄は相変わらず、人のプライベートを平気で詮索する。
せめて、人を選んで欲しいといつもは思うけど、今は私もそれを知りたいと思っている。

彩華さんは兄の言葉に更に激しく動揺して、姉の真美さんを見た。真美さんの顔も強張っていた。

まさかの的中だったとは・・・。

さっきまでの賑やかな談笑から、一瞬にして静まり返ってしまった。

「まさか、当たっちゃった?」

兄も流石に焦りを隠せない。

「もう随分前の話よ。」

真美さんが代わりに答える。

私は目の前が暗くなって、周りの音が遠くなっていく感覚と理性とを必死に戦わせ、何とか姿勢を保っていた。

真美さんが前に言ってた『彩華さんの遠距離恋愛の相手』は拓海だったのだと直感的に理解した。

「ごめん、もうこの話は止めよう。彩華ちゃんだって、もうすぐ結婚するんだし、青柳さんのことは・・・。」

兄がそう言い終わる前に、彩華さんが立ち上がった。

「結婚って言っても、親のためでしょ。お姉さんはいいわよね、本当に好きな人と結婚して幸せで。私は、違うから。」

そう言うとリビングを出て、玄関に向かう。

真美さんが葵ちゃんを兄に預けると、急いで彩華さんを追いかけた。

玄関で真美さんと彩華さんが何を話しているのかは聞こえない。

ただ、今の私には『拓海と彩華さんが付き合っていた』という事実だけで十分だった。

衝撃で撃ち抜かれた身体は少し動かすだけで、痛みが走る。

リビングに残された両親や兄も一言も発さない。
兄の膝の上で遊ぶ葵ちゃんの無邪気な笑い声だけが響いていた。
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