燕雀安んぞ天馬の志を知らんや。~天才外科医の純愛~
それから、資料を取りに医局に入ろうとしたとことろで、
一条と工藤が話をしているのが耳に入って足を止める。
「もともとつばめさんは、病院のため、と言って、自分でなんでも頑張ろうと走ってきていた。誰かに甘えることはほとんどなかったはずだ。でも好きな人ができたら、変わったはずだった。特に彼女は小さい時は、今見ている限り、そういう部分が人よりはっきりしてたからね。でも、人格をすっぱり分けてしまって大人の人格だけになると、それを人に出すのがもっと難しくなる」
工藤の声だ。それに一条が答える。
「つまり、つばめちゃんの記憶が戻った後、これまで以上に、つばめちゃんは人を好きになりづらくなるし、誰かに甘えられなくなるし、素の部分を人に見せられなくなるってこと?」
「まぁ、簡単に言えばそういう事だね。それにそれを無理やり出させようとすれば、いらない記憶もおまけでついてくるだろうし」
そうだよ。だから、僕はつばめに思い出してほしくないんだ、全部。
工藤は続けた。
「どのみち……彼女自身が『知りたい』って思えば、そのままではいられない。その日も近い気がするんだ。そのとき、また二人とも苦しむと思う。とくにつばめさんは、また3か月の記憶をなくして、それより前の、大人の記憶が戻ると思うから」
大人の記憶。
僕が好きになった、一生懸命なつばめの記憶……。
それを考えなかったわけじゃない。時折思っては苦しくなる。
僕が最初好きになったのは、バカみたいに一生懸命なつばめだったから。
でも……。
「……ねぇ、工藤先生」
一条の真面目な声が耳に入る。「私、次こそ、なにか二人の力になれるかな」
驚いた。
そんなことを一条が思っているなんて考えもしなかったから。
それを聞いて僕は自分の手を握りしめていた。
自分は、つばめを守ろうと思っていた。自分だけでどうにかしようと思っていた。
でも、一条も、工藤も……これまでもこうやってずっと、
僕やつばめのことを考えてくれていたのかもしれない。
そんなことを思った。