花を愛でる。
社長から渡された顧客資料リストは全て頭の中に入っている。顔と名前、それから会社名の一致、そして、
「あの方のお子様は日曜日の朝にやっている女児向けのアニメにハマっているようです」
「それ、なに情報?」
「知りません、書かれていた内容を丸暗記しただけですので」
データに纏まっていることだけじゃ満足しないのではと思ったので、頼まれていないが趣味や特技も頭の中に詰め込んだ。挨拶と言っても今後の事業に繋げるための接待と同じようなことだと思い、話題に困った時の手助けになればいいと思った。
私の情報を耳に入れ、対象へと歩を進めようした社長ははたと脚を止めてこちらを振り返った。
「それ、もしかして全部覚えてる?」
「はい、仕事ですので」
「なるほど」
少し笑みを含んだ返事が私の琴線に触れる。なんだ、「なるほど」って。私はただ秘書の仕事を真っ当にこなそうとしているだけだ。
でも少しだけ、彼が嬉しそうな表情をしていたように見えたのはどうしてだろうか。
彼はどこかご機嫌気味に鼻歌交じりに歩き始めた。
それから二時間もの間、休憩もなしに私たちは名簿にあった顧客に次々と顔を見せて軽く話を振る。
100人もの人物との顔合わせは想像以上の労力がいることを知った。しかし周りを見渡しても参加者は社長を含めて涼しい顔をしている。かれが社交界の慣れというものなのだろうか。
それよりも、一つ気になっていることがある。
これだけの人数と挨拶を交わしている彼だが、未だに主催者のところへ向かおうとはしないのだ。
「(確かに名簿の顧客リストの中に”黛”という名前はなかった……)」
目の前でにこやかに談笑している彼のここに来た目的は一体なんなのだろうか。
「あの埋め立て地、テーマパークになるそうで。僕の方でも何かお手伝いできることがあれば……」
それにしてもこの人、全く疲れが顔に出ていないと彼の顔を見ていて思う。好感の高い笑顔を振り撒くその様子は、どちらかというと彼の方が鉄の人間なのではないかと疑ってしまうくらいだ。
普段からもこれくらい意欲的に仕事に励んでくれたらいいのに。私は会話を耳に挟みながら腕時計に視線を向ける。
「社長、そろそろ……」
「もう時間か。それではまた機会があれば」
時間内に全員の元へ回れるようにタイムキーパーのような役割も任されていた。
二人が握手を交わし、相手の姿が見えなくなったところで深く溜息を吐く。流石に集中力が切れてきたような気がする。
「大丈夫? しんどそうだけど」
「え、」
流石に俺も疲れたな、と肩を回す彼に姿勢を正した。私よりも実際に挨拶をしている彼の方が神経を擦り切らしているはず。そんな彼の隣で「疲れた」なんて口にできない。
すると突然彼が私の眉の間を人差し指で差す。
「眉間の皺」
「っ……」
そうだ、折角メークをしてもらったのに私のせいで台無しにしては駄目だ。
すみません、と謝ると彼がまた微笑んだ気がした。
「と、電話だ。ちょっと外出てくる」
「は、はい」
「会場を出たところにソファーがあるはずだからそこで休んでなよ。電話終わったらそこで合流するから」
彼はそう言って私に手を振るとスマホを耳に当てながら会場から出ていった。こんな時間まで別の仕事に追われているのか。
「(私もお手洗いに行こう)」
溜息を漏らしたがパーティーの騒がしさに掻き消され、私も会場を後にした。