あの日の恋は、なかったことにして
「あの日、社長室に連れていったあと、すずに背中を向けられて、信じられないほど苦しくなって……あ、すごく好きなんだって思った。挽回するチャンスが欲しくて、でも、どうしていいかわからなくて、いつも今日みたいにすずの近くをうろうろするしかできなくて……」

 近くをうろうろしていたなんて気が付かなかった。
 さすが社長の隠密のような仕事をしていただけある。

「海外勤務はすずの夢だってわかってる。でも、このまま離れるのは嫌だ。だからせめて約束が欲しい。戻ってきたら俺と結婚するって。ほかの誰のものにもならないって。そしたら俺、何年でも待ってられる」

「いや、ちょっと待って」

 根本的な何かが間違っているような気がする。
 そもそも私に、海外勤務の話なんて来ていない。

「あのね、勢いだけで結婚の約束をしたって意味ないよ。だいたい、猪狩くんのほうがほかに好きな人ができるかもしれないでしょ。雰囲気に飲まれすぎだよ」
「すず、俺のこと嫌い?」
「嫌いじゃないけど……」

 むしろ、やっぱり大好きだけど。

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