あの日の恋は、なかったことにして
「とりあえず、お友達からやり直してみましょ。で、私がシンガポールから帰ってきたら、恋人になるかそのままお友達でいくか、ふたりで決めようよ」
「俺、そんなにのんびり待ってられない!」
「もう~~~~」

 猪狩くんって、こんなに子供っぽくて我儘だったっけ!


「そもそも、シンガポールは転勤とかじゃなくてただの旅行だから」
「え? そうなの?」
「有給の申請が通っただけ。まあ、ちょっと裏から手を回したけど」

 きょとんとした猪狩くんがかわいくて、私は彼の胸に抱きついた。

 見た目よりも広い胸。なんだかとても、安心する。


「母を海外旅行に連れていってあげるのも、私の夢だったんだ。1週間、親孝行してくるよ。出発はちょっと先だけどね。それくらい、待てるでしょ?」
「うん……我慢できる、と思う」

 やさしく、強く、ぎゅっと抱きしめられた。
 彼の方が私よりもずっと体が大きいのに、ぎこちなくて、頼りなくて、母性本能がくすぐられる。
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