あの日の恋は、なかったことにして
***

 シンガポールに出発する日、猪狩くんは見送りがてら、私の荷物を空港まで運ぶのを手伝ってくれた。
 そのまま仕事に向かうらしく、いつものドライバーユニフォームに身を包んでいる。


「俺、社長の運転手をしながら、秘書の勉強をさせてもらうことになったんだ。すずみたいに、でっかく夢を持とうと思って」
「へえ、どんな夢?」
「まだわからないけど、何か事業を起こしたいな。顔とマナーのいい運転手を派遣する会社を創るとか」
「あは。おもしろそう」


 猪狩くんは、実家が大企業だとか、家同士の付き合いがあるとかとは関係なく、自分で進む道を決めている。

 そういうところを、私も好きになったんだと思う。

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