俺が優しいと思うなよ?


「僕は人の顔は覚えている方でね。何年か前にヴェール橘建築事務所の建築デザイナーの女の子が担当者の代わりに打ち合わせに来たことがあったんだよ。ヴェール橘の社員のことは興味はなかったんだが、彼女と話をしたら何だか面白くてね。聞けば市立図書館のデザインにも携わっていたというんだ。打ち合わせの要点を纏め、次に何をしなければならないかを考える彼女を見て、いずれは大政建設にスカウトしようと思ってたよ。それがね……」

中村さんは少し寂しそうに俯く。

「僕は出勤の日は必ず駅で新聞を買うことにしているんだよ。三年くらい前からかな、彼女が駅のキヨスクで働いているのを見かけてね。僕の見間違いかと思ったんだけど、やっぱりあの子だと思って挨拶がてら声をかけたんだよ。本人には間違いないはずだけど、以前とはまるで別人のようなどこか影のある感じで、僕のことは覚えていないみたいだったよ……」



「ちょっと待てって!」
もどかしくエレベーターを待つ俺に、後を追ってきた響さんに強く腕を掴まれた。
この時、俺がどんな顔をしていたかわからないが、響さんは珍しく俺に目くじらを立てた。
「中村さんのいう「彼女」は市立図書館に関わっていたというだけで、三波聖本人とは限らないだろ?ここは慎重にいくべきだ」
「でもやっと掴んだ有力な情報なんですよ。ここで足踏みして彼女がまたどこかへ行ってしまったら、今度こそ本当に見つからなくなります!」
響さんの腕を振り払おうと、腕に力を入れる。彼は眉間にシワを作り、
「入社当時から突っ走る癖はなかなか直らないね」
と、言いながら半分諦め顔で俺から手を離した。

エレベーターの中で落ち着きのない俺に、響さんは言い聞かせるような口調で言う。
「君の彼女に対する熱意は理解しているつもりだよ。でも君が今、直接本人へ突撃して人攫いのような真似をすれば、彼女は警戒して逃げてしまうかもしれない。彼女はすぐにどこかへ行ったりはしないと思うよ。だって、彼女は僕たちが追いかけていることなんて知らないでしょ?」

< 139 / 180 >

この作品をシェア

pagetop