アンチテーゼを振りかざせ
「…椋。」
何度か瞬きをして、視界の歪みを落ち着かせた私は、男の拘束を自分から解いて目の前の彼を呼ぶ。
先程の会話で明らかに力が抜けてしまったのか、椋は少し惚けた顔のままに私と視線を合わせた。
「…あの時、逃げるように去ってごめんなさい。」
自分を偽ってばかりで、
最後まで結局、椋に何も本音を晒さなかった。
その謝罪は私が自分で伝えるべきことだと、真っ直ぐに言う。
椋は最初は何か言葉を探してるようだったけど、最後は「うん」と、力の無い微笑と共に頷いて、人混みを避けるように恐らくバスターミナルの方へと去って行った。
「……さ。帰ろ。」
なんとなく椋の後ろ姿が目で追えなくなるまで見ていた私の頭をぽんぽん、と叩いて促す男へ視線を戻す。
どんな色の照明の中でも、やはりこの白に近いアッシュは目立つ。
「……働いてたんじゃ無いの。」
「俺、早上がりって言わなかった?」
「……。」
確かに、言っていたけど。
そう尋ねてくる三白眼は、不服そうに私を簡単に見下ろす。
私服に着替えても黒のトレーナーに黒スキニー、結局黒に覆われた男は、逆に髪だけが異質に浮き彫りになる。
「奥でキッチン手伝ってて、そろそろ上がれるって思ってカウンター覗いたら居ないし。普通に焦った。」
「……約束してないし。」
あの女の人も、あんたのこと待ってたし。
それは心でだけ呟けば、自ずと顰めっ面になっていく自覚はある。
私のそんな表情の変化を観察した男は、目の前で一つ息を吐いて。
「紬は、照れ屋で困る。」
「っ、」
理解不能な言葉と共に、私の腕を掴む。
そして、なんの迷いもなく私"たち"の最寄り駅に繋がる改札へと足を進めた。