アンチテーゼを振りかざせ
「は、っ、」
乱れた呼吸の音が、鼓膜をつん裂くように響いている。
見慣れたマンションが見えた瞬間に、私はやっと自分の足を止めた。
それでも突然の疾走に体全体が驚きを隠せていないし、肩で大きく息をする以外に暫くはできそうに無い。
ちょっとずつ酸素を取り込むスピードを整えると共にその場にへたり、しゃがみ込んでしまった。
こんな、走るのに全く向いていないサンダルのせいで足が痛い。
だけどそれよりも、
心の奥の方が何故だかすごく、痛む気がする。
“_____梓雪。“
あの人は確か、八恵と名乗る、
この間もコンビニで出会った女性。
男との関係は、知らない。
だから、さっき、
____"あの2人が抱き合っていた理由"
なんて、知る筈がない。
それでもこの目で確かに見た光景が、
はっきりと鮮明に脳内で再生されてしまう。
“私は、この人と何も関係無いです。“
そうだよ。関係が無い。
なのに自分の発言を思い出すと
途端に視界が滲むのは、どうしてか分からない。
瞬きでなんとか収めようと画策していると、右手に握りしめていたスマホが通知を知らせて震えた。
【南雲 智加《ちか》】
画面に表示されている名前を確認して、今週は仕事が立て込み過ぎていてメッセージをなかなか返せていなかったことを思い出した。
《お疲れ様。仕事、忙しい?》
ご飯に行きたいと前向きに誘ってくれたこの人への返信もせず、私は一体何をやってるの。
緩くなっているスウェットの袖口でぐい、と視界を無理やりクリアにするのに、白に近いアッシュが瞼の奥できらきらとチラついた気がした。