【完】片手間にキスをしないで


痛快と言わんばかりに笑う鮎世を横に、奈央はようやく解放する。


西名は切った唇を拭いながら、座り込んだ夏杏耶を一瞥して去って行った。



『……立てるか?』


そう差し伸べたのは、穢れた手を水で流した後。彼女は弱々しく頷いて、その手を取った。


『わ……っ』


そして、弱った身体が反動で飛び込んできたとき、得体の知れない感情に心臓を絞られた。


胸元でキュッと握られた自分の体操着が、経験がないほど脈を荒立てた。


『……がまんしないで泣けば? 女の子だろ』


言いながら彼女の頭を撫でると、ピクリと肩が跳ねて。


『ごめん、なさい……っ』

『……おせぇよ。バカだな』


芽生えた本能を押し殺すように、唇を噛みしめた。


母親から授かった強さが、初めて意義をもったように思えた。



───だから、ずっと。


『奈央クン、おはよう!……って、また傷増えてるっ』

『おはよ……つーかまた来たのかよ』


あの笑顔を守れるのは自分だけだと、過信していたんだ。

< 191 / 330 >

この作品をシェア

pagetop