【完】片手間にキスをしないで
痛快と言わんばかりに笑う鮎世を横に、奈央はようやく解放する。
西名は切った唇を拭いながら、座り込んだ夏杏耶を一瞥して去って行った。
『……立てるか?』
そう差し伸べたのは、穢れた手を水で流した後。彼女は弱々しく頷いて、その手を取った。
『わ……っ』
そして、弱った身体が反動で飛び込んできたとき、得体の知れない感情に心臓を絞られた。
胸元でキュッと握られた自分の体操着が、経験がないほど脈を荒立てた。
『……がまんしないで泣けば? 女の子だろ』
言いながら彼女の頭を撫でると、ピクリと肩が跳ねて。
『ごめん、なさい……っ』
『……おせぇよ。バカだな』
芽生えた本能を押し殺すように、唇を噛みしめた。
母親から授かった強さが、初めて意義をもったように思えた。
───だから、ずっと。
『奈央クン、おはよう!……って、また傷増えてるっ』
『おはよ……つーかまた来たのかよ』
あの笑顔を守れるのは自分だけだと、過信していたんだ。