【完】片手間にキスをしないで


朝、厄介な寝ぐせを直してもらうことも。均等に切られた食パンを食べることも。


キスは、あと何回だっけ。



キィッ───と、錆びれた金属音が小さく響いたのは、思い伏せながら、涙が頬に伝うのを感じた時だった。


「……?」


フローリングをゆっくり擦る足音。息を潜めたまま、気配が近づいてくるのがわかる。


それが、奈央の気配だということは分かっていても、夏杏耶は寝ているふりをした。涙を拭うのをやめて、寝息を立てた。


彼が気づかれないように、影を落としていることが分かったからだ。



でも、狸寝入りというのは思っていたより困難で。



「……涙」



彼の指が頬に触れるのと同時、夏杏耶は思わず瞼を持ち上げてしまいたくなった。しっとり、甘い香りをまとった空気に、触れたくなった。


ねぇ、さっきまでスイーツを作っていたんでしょう。ねぇ……どうしてそんなに優しく触れるの。


「夏杏耶……ごめん」


掠れたか細い声が落とされる度に、問い正したくなった。

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