【完】片手間にキスをしないで
彼の気配がより近づいたのは、その直後───
ほんのり涙に濡らされた唇に、柔らかい何かが触れる。瞼の向こう、見えない視界に影が掛かる。
一度。そして、数秒の間を置いて、もう一度。
同時に鼻孔をくすぐるチョコレートの香り。唇からなだれ込む空気がいつもより濃くて、甘くて、心臓を高鳴らせる。
……ねぇ、奈央クン。これって……。
唇に触れられた〝何か〟が唇だと気が付いた瞬間、瞼をゆっくり持ち上げる。
そして、奈央の体温が遠ざかる寸前、夏杏耶はその手を握って引き止めた。
「っ、かあや……」
起き上がった上半身に、たぶん目を見開いているのだろう。カーテンの隙から漏れる月明りも、彼の表情を照らしてはくれないのに……分かってしまった。
だって、名前を呼ぶ声が珍しく上ずっていたから。
「奈央クン……私にキス、したよね」
「……してねぇよ」
「え。なんで嘘つくの」