身代わり政略結婚~次期頭取は激しい独占欲を滲ませる~
 一日仕事を終えて、首をゆっくり回す。デスク周りを片付けて席を立った。

「お疲れ様です」

 部署を出てエレベーターホールに向かう。
 エレベーターに乗って扉を閉めるときに、稲垣さんが小走りでやってきたので『開』ボタンを押した。

「ありがとうございます」
「うん」

 稲垣さんは、エレベーターが下降し始めてすぐ、コンパクトミラーを取り出して入念にメイク崩れをチェックしている。

「今日もデート?」
「はい。お互い会社がわりと近くて。ラッキーです」

 仕事後とは思えないほど、満面の笑みを浮かべる彼女は素直に可愛いと思った。

 私も稲垣さんくらい、信念をもって可愛くいられたらなあ。

 一階に着いてロビーを抜ける。
 オフィスから出てすぐ、隣を歩いていた稲垣さんが声を上げた。

「あれ? あの人って……例の鷹藤さんじゃないです? なんでここに?」

 彼女の言葉を聞き、パッと彼女が見ている方向へ目を向けた。

 視線の先にいる人物は……紛れもなく彼だった。

 スタイルのいい体型で容姿が整った成さんは、目を伏せて腕時計を確認しているだけで周りの女性に注目されてる。

 成さんは私と稲垣さんが立ち止まって見ていたのに気づき、かたちのいい唇に薄っすらと笑みを浮かべた。

「梓」

 私の名を呼び、軽く片手をあげる。
 稲垣さんは驚いた顔を私に向けた。

 私は咄嗟に言葉が出ず、彼女の視線に小さく首を横に振るだけ。

 だって、本当に約束はしていなかった。彼がここにいたのは不可抗力だもの。

 私たちの前にやってきた成さんは、まず稲垣さんと向き合って会釈した。

「初めまして。鷹藤と申します」
「稲垣です。時雨さんにはお世話になっております。あの、先日の経済紙拝見しました。それと近々ご婚約されるんですよね? おめでとうございます」

 稲垣さんは舞い上がったのか、いつも以上にペラペラと口が動いていた。
 それはいいけど、内容がまずい。彼女は無邪気に笑っているが、私と成さんは硬直している。

「え……?」

 成さんはびっくりした顔をして、私を一瞥する。
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