十六夜月と美しい青色
 「…ごめん、今そんな気分になれない」

 「それは、あいつにに会うからか?」

 「…今も会いたいって、メッセージが届いてた。でも、弁護士を通すから、直接話す必要はないし、子どももいるなら追い縋るつもりもない。だから、私は会うつもりはないわ。そういう事じゃなくて、しばらく、恋愛や結婚は考えたくないのが本音かな」

 ため息をつきながら、宙を仰ぎ見ていた。そんな結花の左の薬指を、和人の長い指先が愛おしむように触れると、何かに弾かれたように結花の瞳から大粒の涙が静かに流れ始めた。幸せになれることを疑いもしなかった時の思い出が、セピア色の映画のエンドロールが流れるようにあふれ出してきた。そこには、数時間前まで凌駕に贈られた指輪があったところだった。

 「なぜ、ここにいるのが凌駕じゃないの…」

 結花の身体が瞬く間に硬直し、ささやくような声で呟いた。

 和人は嫉妬に表情がゆがみ、軋む音が聞こえてきそうなほど歯を食いしばりながら、それでも無言のまま結花を後ろから抱き締める。

 「調子に乗りすぎた。ごめん」
 
 自己満足でしかない言葉が、結花を傷つけた事実と己の浅はかさに打ちのめされた。

 「和人のその気持ちだけで充分。それに、これは私と凌駕の問題だから…。」

 もう、大丈夫。と強がりを言っても、作り笑顔を貼り付けた仮面は、あっという間に涙とともに崩れ落ちてしまった。
 
 「りょう…、凌駕…」

 顔を覆っている手のひらの、指の間から零れ落ちる涙を結花はどうしようもできず、声も出ないまま泣いていた。

 「お前の頬を伝ってる涙、オレが止めることはできないのか…?」

 そう言うと、結花の頬を伝う雫を唇で拭うと、絶対に離さない…と呟きながら、再びシーツの波間に結花を沈めようとする。
 
 「こんな涙なんて、俺が二度と流させないから。お願いだから俺を見て…」

 和人は再び、自分の全てで優しく甘く触れていく。しかし、結花の心は為す術もなくその行為を受け止めているだけだった。今の結花には、自分の想いが届かないことで暗澹(あんたん)たる思いになっていった。

 「わかった…。もう何もしないから、このまましばらく眠らせてくれるか」

 諦めたように和人が言うと、結花を後ろから抱きしめ横たわった。

 愚かなほど、あからさまに結花に思いを伝えたつもりだったのに、機が熟さなければ実らないということだろうか。和人にとっては一瞬にして落ちた恋でも、結花にとっては失った恋を思い出に紡ぎ直す時間でしかなかった。

 和人が、(はや)る気持ちを抑えるように目を閉じると、直ぐに結花の耳元に静かな寝息が聞こえてきた。結花は、寝ていても自分の名を囁くように呼ばれることに、何も考えられないまま目を閉じて二人だけの静かな時間が過ぎていった。

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