見捨てられたはずなのに、赤ちゃんごとエリート御曹司に娶られました


「あのっ」


勇気を振り絞って発した声は頼りないほどか細かったが、彼の耳に届いてくれたようで、ゆるりと疲れの滲んだ眼差しが私へと向けられる。


「……あっ、カフェの店員さん。こんばんは」


最初は不思議そうにこちらを見つめ返していた彼だったが、私が誰かわかった瞬間、口元に笑みをたたえた。

不快な顔をされてしまうかもと怖かったため、微笑んでくれたことにホッと息をつく。


「バイトの帰りですか?」

「はい。……あの、この前は、本当にすみませんでした」


深く頭を下げると、「え?」と驚きの声が響き、そして「あぁ」と思い出したような短い呟きが挟まり、「やめてください」と温かな手が私の肩にわずかに触れた。

ゆっくり顔をあげると、苦笑いしている彼と目があった。私は気になっていたことを問いかける。


「……コーヒーの染み、落ちましたか?」

「はい。ちゃんと落ちましたから、もう気にしないでください」

「でもやっぱり、そうはいかないです。とても素敵なスーツだったし、せめてクリーニング代だけでも」


「いえ」と拒否するように横に振られた彼の手を、私は勢いに任せて掴み取った。

< 7 / 155 >

この作品をシェア

pagetop