涙の涸れる日
 一方、由布子は……。

「辞令? 私、上海に行けるの?」

「上海ですか? 栄転ですね」
後輩に言われた。

「そうよね。上海か……」

「田所先輩、中国語は大丈夫なんですか?」

「実はね。大学で中国語勉強してたの。こんな所で役に立つなんてね」
由布子は笑顔で応えた。

 こんな日本なんて飛び出して、イケメンの上海セレブでも捕まえるわ。

 五百万取り上げられたけど、大した事ないわ。

「楽しみだわ」

 どこまでも貪欲な女だ。

 そんな思い通りの人生なんて待ってはいないのに……。





 上海支店に転勤した。

 アパートは会社が用意してくれていた。
 日本で借りていたアパートよりもグレードは落ちるが生活には差支えないと思っている。

 由布子はすぐにでも上海の主要デパートに勤務するものと思っていた。

 しかし彼女に与えられた仕事は支店の倉庫での在庫管理だった。

 それは何故か?

 彼女が話せるのは広東語。中国の標準語として主に使われているのは北京語。おまけに上海独特の上海語も存在する。

 この三つにはあまりにも違いがあった。
 それを由布子は知らなかった。

 日本での方言くらいの違いだと甘く見ていた。日本の方言ですら全く理解出来ない事もあるのに……。

 あの広大な土地にたくさんの民族が暮らす中国という国をなめていた。

 会社の中で広東語と北京語の分かる社員にいちいち聞いて仕事の内容を把握する。

 こんな筈ではなかったと後悔しても遅い。

 本人も周りも栄転だと信じていたが、明らかに左遷だった。

 上海での勤務期間は二年。
 最低二年上海での勤務を続けなければいけない。辞めるという選択は会社をも辞める事になる。

 日本に帰っても再就職先もないだろう。

 倉庫での在庫管理の仕事は東京のデパートに居た頃の華やかさは微塵もない。


 しかも給料は日本にいた頃の半分以下。
 物価が安いのは確かだが、由布子は全くやる気を失っていた。


 会話もまともに出来ないのに上海セレブなど捕まえられる訳がない。

 話が出来る友人もいないこの上海で、二年も生活していけるだろうかと疑問ばかりの毎日を送っている。

 正に天罰。
 自分勝手な思いから人を傷付けた報いだとしか思えない。


 その事に本人は気付いてもいないだろうけれど……。


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