目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
7.姫と王子とバカとモヤシ!
 舞踏会。
 それは世の令嬢が一度は夢見る、華やかで煌びやかな夜の世界。
 十四歳で初めて社交界に足を踏み入れ、早三年。
 笑顔の裏に秘められた鋭い眼差し、扇の向こうに湛える嘲笑。
 挿した紅で不安をも塗りつぶし、私は若輩者ながらシャンデリアの下に立ち続けてまいりました。
 そう、そこは美しい舞台などではなく、れっきとした戦場なのです。

「──リシェル様。厳かに語られるわりには、両脚が生まれたての子鹿のように震えていますが」
「うええーん! だって私が出席していた舞踏会はもっと規模が小さかったんですもの!」

 マクシム様が主催される舞踏会の当日、会場に溢れ返る人々を扉の隙間から覗き見て、私は緊張で死にかけていました。
 いや本当に何ですの、この人数!? 王族が主催する舞踏会ですから、招待客が多いことは予想していましたけれど! そんなにもヴァルト様、いえ私の醜態を大勢に見せしめたいのですか!?

 ──過去に私が出席した舞踏会では、エゼルバート公爵家が主催されたものが最大規模だったでしょうか。私は婚約相手を探す上で、身の丈に合わせて王族をあらかじめ除外していたのですが、今になって王宮にも足を運べば良かったと後悔しております。

「……大丈夫ですか。無理なら今からでも辞退なさった方が……」
「い、いえ、平気ですわセイラム様。み、みみみ見てらっしゃい、私の体に戻ったらすぐに開き直って見せますから」
「それを言うなら立て直すですよ、開き直られたら困ります。ともかく、そんなところで震えないでください。まだヴァルト様のお姿なんですから」

 セイラム様に姿勢を正すよう求められ、私が唸りつつ背筋を伸ばしたときでした。
 後方から近づく軽い足音に振り返ると、薄暗い廊下に──えっ!! どなたかしらあの美少女!?
 緻密に編み込まれた銀髪を彩るは、瑠璃色の花を模した髪飾り。その身に纏う華やかなドレスは、同じく濃厚な青を基調とした気品溢れるものでした。露出は控えめながら、真っ白な肌が仄かな色香をも漂わせて──。

「はっ……いけないいけない、私ったら私に見とれてしまいましたわ……いくら私が妖精のように可憐だからって……」
「貴女の自己愛は本当に尊敬しますね」

 私とセイラム様の元までやって来たヴァルト様は、やはりコルセットの締め付けが苦しいのか、お腹を摩りながら口をへの字に曲げておられました。

「準備だけで疲れたのは初めてだ」
「お疲れ様です。カルミネ様とはお会いになれましたか」
「ああ。これが応急薬だと」

 ヴァルト様は小瓶から二粒の小さな丸薬を出すと、そのうちの一つを私に手渡してくださいました。
 真っ黒ですわ。私たちの髪以外に、一体何を混ぜたのでしょう。いえ聞かない方が良いのは分かっているのですけれど。

「これを飲めばよろしいのですね──あっ! セイラム様、お、お水ありません? 私、薬を飲むの苦手で」
「子どもですか」

 と言いつつセイラム様はすぐにお水を用意してくださいました。
 ヴァルト様は噛み砕いてお飲みになるつもりだったようですが、後々その口内に残った苦味に悶えるのは私です。無理やりグラスを持たせたところで、私とヴァルト様は同時に丸薬を飲みました。

 ──するとどういうことでしょう、お腹の辺りが急に熱を持ち始めました。

 熱は徐々に全身へと巡り、微かな眩暈を感じた私は、思わず壁に凭れ掛かりました。視界の揺れを抑えるべく瞼を閉じ、暫く経った後。

「……あ」

 ふと瞼を開くと、そこには白く小さな手がありました。
 はっとして顔から手を離し、私が自分の体を確認していくと。
 これは──紛れもなくリシェル=ローレントの体ですわ!

「きゃあ! 久しぶりの私! お元気でしたの!?」

 歓喜のあまり自分を抱き締めたところで、くらりと体が傾きます。
 あらら、妙な気分ですわ。元の体に戻ったはずなのに、意識がしっかりと嵌まっていないような──。

「戻ったな」
「にょわ!?」

 一人でふらふらとしていた私は、急に肩を引き戻されて奇声を上げてしまいました。
 がっしりとした腕に抱かれたまま顔を上げれば、そこにヴァルト様のお顔がありました。鏡越しに見るのと違って、何故か随分と凛々しく見えますわ。あ、きっと眉間に力を入れているからですわね。
 というか何だかその、おかしいですわ、ここ最近は毎日ヴァルト様のお体で過ごしていたはずですのに──今、ようやくヴァルト様と初めてお会いしたような気分です。

「……? どうした、何か異変でも」
「あ!? いえ、大丈夫ですわ! ちょっと眩暈がしただけですの」

 咄嗟に支えてくださったヴァルト様にお礼を申し上げながら、落ち着きなく視線が彷徨ってしまいます。
 嫌ですわ、目を合わせないなんて失礼ですのに。私ったらどうしてしまったのでしょう。

「ヴァルト様、リシェル様。お二人とも元に……戻られたのです?」

 私たちがその問いに頷けば、セイラム様はとても安堵したご様子で胸を撫で下ろしていました。久しぶりに心が安らいだのでしょうか。

「それは良かったです。私は警備の確認に向かわなければいけませんので、何かあれば蒼鷲の者に」
「分かった」
「くれぐれもお気を付けて」

 礼儀正しく一礼し、静かに立ち去ったセイラム様の背中を見送った私は、つい溜息をこぼしました。こうして見ると、本当にヴァルト様とセイラム様って王子と側近なのですね。普段は野生児と保護者のように見えていましたけれど。

「ローレント嬢」
「はいっ何でございましょう!」

 無礼千万な思考を彼方へ吹っ飛ばし、私は笑顔でヴァルト様を仰ぎました。
 ヴァルト様はどこか不思議そうに首を傾げたあと、ホールへ続く扉に向き直り、左腕をこちらに差し出しました。そこに私が手を添えれば、瑠璃色の眼差しが静かに寄越され。

「いつも通りで構わん。緊張する必要はない」
「え……」

 つい呆けてしまいましたが、私は自然と頬を緩めて頷きました。

「ええ! 久々の舞踏会ですもの。今宵はヴァルト様と踊れる良い機会ぐらいに思っておきますわ」

 ホールの眩しい明かりが廊下に射し込んだ瞬間、前に向き直ったヴァルト様はふと口角を上げ。

「ああ。心強い」

 そう、低く囁かれたのでした。
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