目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~

気付きと変化

 姿見に映った小柄な娘に、暫し目を奪われたのは確かだった。
 足元にシーツを引き摺ったまま、しどけない姿で呆然と立ち尽くす彼女は、化粧も何もしていないというのに、赤子のように滑らかな肌を晒している。
 白い面に嵌め込まれた藤色の硝子玉は、髪と同じ銀色の睫毛に縁取られ瞬いて。

「……誰だ、コレは」

 瑞々しい唇から発した困惑の声すら、鈴を転がしたような軽やかさを纏っていた。


 ──しかしながら、彼がその娘に見とれていたのはそこまでだった。


「待て、大丈夫かコイツは。何だこの細い手足は。病を患ってるわけじゃあるまいな」

 細い肩を掴んだり、満足に走れなさそうなひょろひょろの腿を上げたり、そして腹筋を撫で上げようとしたところで──辛うじて止まる。
 胸筋とは異なる類いの丸みを凝視してしまった後、そっと視線を逸らした。
 途端に湧いた何とも言えない罪悪感と共に、彼は姿見の前から立ち去った。


 リシェル=ローレントと初めて話した際の感想としては、よくもまぁ自分が苦手そうな女を探してきたものだと、第二王子派を少し見直してしまった。

 自分には容姿しか取り柄がないと思い込み、それを良しとする甘ったれた根性。しかし無駄に前向きで騒がしい性格は、不思議なことにどこか憎めない。
 胡散臭い婚約者と縁を切って以降、リシェルは憑き物が取れたように──互いに別の体に取り憑いてはいたが──振る舞いが明るくなった。いや、あれを明るいという言葉だけで片付けてよいものか分からないが、取り敢えず元気になった。

 セイラムに仕事を手伝いたいと申し出たり、第二王子派の一掃を提案したりと、爵位だけの貴族より余程肝の据わった娘ということは、このひと月ほどでよく分かった。

 転じて、不意に見せる汐らしい態度や凛とした眼差しに、気付けば目が離せなくなっていた。

 少し前の自分なら、決して惹かれることはなかったかもしれない。口喧しい者はセイラムだけで事足りている、と。
 なればこそ、つくづく奇妙な縁だと思う。もしも異母弟の計画が当初の予定通り、兄弟間で終わる騒動だったなら──リシェルとは他人のままだっただろう。
 今ではそんなこと考えられないし、彼女の元気な笑顔と声が傍にない生活には、きっともう戻れない。



「──ヴァルト様! ご覧くださいまし! 私が丹精込めて縫い上げた刺繍ですわ!」
「ほう。蜘蛛か?」
「蝶ですわよ」

 愛らしい笑顔から一転、リシェルは必死の形相で胸倉を掴んできた。

「殿方へ贈るハンカチに蜘蛛を刺繍する令嬢がいますか!」
「あまり見ないな」
「んもう! セイラム様も開口一番に『化け物ですか』なんて仰るし、揃いも揃って酷いですわっ」

 およよ、と執務机の向こうへ後退り、彼女はソファに寝そべってしまう。その姿を後目に、ヴァルトは今しがた受け取った刺繍入りのハンカチを見遣る。
 ここ数日、熱心に針を刺していたのはこれだったらしい。蝶だと言い張る謎の模様以外──つまりヴァルトのイニシャルについては大変美しく刺繍されているところを見るに、恐らく問題があるのは刺繍技術ではなく彼女の絵心だろう。
 くっと笑いを噛み殺しつつ、彼はそのハンカチを上着の内側へと納める。

「リシェル」
「何ですの。残念ですけれど返品は不可ですわ」
「いや、ありがたく受け取っておく。拗ねるな」

 クッションに半分ほど顔を埋めたまま、リシェルが恨みがましく睨む。
 自分が中に入っている時は仏頂面しか出せなかったが、本当に彼女は表情豊かで飽きが来ない。悔しさと恥ずかしさを滲ませる藤色の瞳を見つめて、ヴァルトはおもむろに立ち上がる。
 彼女の傍まで歩み寄っては、目線を合わせるべく膝をついた。

「リシェル」

 自分でも驚くほど柔らかな声が出る。
 救国の英雄が聞いて呆れるなと自嘲したところで、目の前の婚約者は当人よりも動揺を露わにしていた。
 みるみる顔を赤くしては、クッションを抱いたままおずおずとソファから降り。非常にゆっくりとした動きで、ヴァルトの肩に自ら寄り掛かる。
 贈り物の礼と、機嫌を損ねた謝罪も込めて、彼は暫し愛しい人を抱きすくめたのだった。


おわり。
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