お題小説まとめ①

メリーゴーランド

 それを見かけたのは、3歳になる娘の手を引いて歩いていたときだ。夫を亡くし、新しい町へと越してきて間もないため、遊びたい盛りの娘とともに目的地のない、土地に慣れるための散歩をするのが日課だった。たいていの場合は小さな公園に行きつき、娘が夢中になって遊ぶ様子を眺めているうちに日が暮れて、ぐずる娘の手を引きながら帰路へとついていた。だから、商店街を抜けた先、初めて通った広場に移動遊園地があるのを見たときは、今日はここが終着点になるかしら、なんて悠長なことを考えていた。
「おかあちゃん、あれ、なに?」
「あれはね、メリーゴーランド。」
「めりーどーらんご?」
たどたどしく言葉を真似る娘が愛おしい。髪を撫でると風に冷えたのかすべすべの額は冷たかった。
「近くで見てみようか。」
「うん。」
興味をひかれた様子の娘と手をつなぎ、小さなメリーゴーランドへと歩み寄った。5つほどおもちゃのような馬がついているだけのメリーゴーランドだった。安物らしき電飾がチカチカと瞬いている。
「おや、ご用かい?」
ふいに操作室のような場所から白髪の老婆が顔を出す。やせ細っていて、目だけぎょろぎょろと大きい。娘を見る何か見定めるような視線に居心地悪さを感じた。
「いえ。」
「これ、あしょぶ!」
断って帰ろうと思っていた私の言葉を遮るように、娘が声を上げた。初めてみる大きな動く遊具に興味をそそられたのだろう。間近で私を見るきらきらした目。これは何を言っても聞かないときの目だと知っている。小さく溜息をついて老婆に向き直る。
「あの、一回いくらですか?」
「いくらでしゅか??」
私の真似をする娘のたどたどしい言葉。老婆は唇の端を歪めて、笑顔のような表情を作ると鉄の柵を開けた。
「お金はいらないよ。」
「えっ、でも。」
戸惑う私に老婆は相変わらず見定めるような視線で娘を見ながら、中を差し示した。
「足元に気を付けて。」
「おかあちゃん、はやく!」
妙な違和感を感じながらも、娘に急かされるまま歩を進める。
「おうましゃん、あかいのがいい。」
「赤いのね。」
近づくと小さく見えていた木馬も、娘と一緒に乗れるくらいの大きさはあった。娘がよじ登った赤い馬に一緒になってまたがる。無事に座るのを見届けていたのか、ちょうどよく始まりを告げるブザーが鳴り響いた。こんな目立つ場所に設置されているのに、乗客は私と娘以外にはいない。
「貸し切りだねぇ。」
「かちきり?」
きょとんと首を傾げる娘をぎゅっと抱きしめた。何が可笑しいのか娘はくすくすと笑う。そのまま、きしきしと古めかしい音をたててメリーゴーランドは動き出した。少し調子が外れた電子音で、どこか懐かしいようなメロディーが流れだす。
 違和感を感じたのは一周した頃だった。まだ夕暮れには早いくらいの時間だったはずなのに、ふいに辺りが暗くなったのだ。
「なんで?夜…?」
私の言葉につられて、娘が目を瞬く。確かに、夜だった。何が起こったのかわからないまま、娘を抱く腕に力を籠める。あたりを見回して、前を動く木馬の上に誰かが座っていることに気づいた。
「ひっ」
喉に貼りついて声が出なかった。さっきまで確かに誰もいなかったはずなのに。木馬に揺れる背中が丸まっている。老婆だろうか。白くやや縮れた髪が揺れている。どこか見覚えがあるようで目を凝らした。大して距離はないはずなのに、なぜかおぼろげな人影。調子はずれのメロディーに紛れて何か独り言のような声が聞こえてくる。
「……は悪い子だから…だよ。ほら、……が来るからね。……に…持ってかれちゃうよ。…が…に、…から…」
ぶつぶつと呟く声がずっと続いている。娘にはその声が聞こえていないのだろうか。きょとんとした表情のまま暗くなった景色を眺めている。娘を抱きしめる手に額から伝った汗が落ちる。ふいに耳元でしゃがれた声がした。
「鬼が、来るよ。」
「いやああああ!」
考えるより先に叫んでいた。私の声に娘の体が強張る。不安そうな瞳が私を見上げる。今にも泣きそうだ。落ち着かせなければ、と無理やり引きつった笑顔を作った。何が起こっているのかはわからない。けれども、私がこの子を守るのだ。
「大丈夫、大丈夫よ。」
「うん?」
気が付けば目の前の木馬から人影は消えていた。今のうちに、降りて逃げようか。けれども、回っている最中の木馬からこの子を抱いたまま降りられるだろうか。そんなことを考えているうちに、2周目を終えていた。ふいに再び闇が深まり、空が赤く変化する。
「ゆうやけだねぇ?」
「そう、ね…。」
答える声は、途中で掠れた。凝視していた目の前の木馬にふいに大きな背中が現れたのだ。その背中を私は知っている。確信していた。短く刈り上げた髪、半そでの紺のポロシャツ。ああ、彼から逃げなければ。本能でそう悟り、片腕で娘を強く抱いた。そのまま木馬を降りようと片足を宙に垂らす。と、いきなりその足首を何かに掴まれた。
「いや!?何!?」
がむしゃらに掴んだ何かを蹴る。見下ろせば、そこには先ほどまで木馬に乗っていたはずの男がいた。うつろな瞳が私に向けられる。その額からは真っ赤な血が滴っている。不自然に傾いだ首は捻じれていた。それは私が知っている、彼の最期の姿だった。彼は無表情のまま私の足を引く。娘を抱きしめて庇いながら、叫んだ。
「放して!放してよ!!なんで!?」
「おかあしゃん…?」
娘は泣きそうな顔で私を見上げる。大丈夫よ、と笑う余裕はなかった。額に汗が浮かんで垂れる。
「鬼が、来るよ。」
彼が生前とは違う無機質な声で呟く。この子を連れて逃げなければ。でもどこへ。
「この子も、連れて行って、しまうよ。」
だから、放してと叫ぼうとした言葉は、続く彼の言葉に遮られた。
「きみが、連れて行って、しまうよ。」
「え……何、を…?」
ぱたぱたと額から垂れた汗が、頬を伝ってスカートに赤い染みを作る。赤い、染み。――まるで、血のような。震える両手、娘を抱いていたその両手を見ると、真っ赤に染まっていた。息を飲むと同時に一気に記憶がよみがえる。
 車、娘を預けて、買い物、彼の焦りに見開かれた瞳、急ブレーキ、歩いている背中を丸めた老婆、ハンドルを切った先、鉄柱、フロントガラスを突き破り、視界が一面、赤く――――………
 娘を抱きしめていたはずの両腕が、突如娘をすり抜けて。彼の手に引かれるまま、私は木馬から落ちていった。調子はずれの電子音が響く中、きょとんとした瞳で娘が私を見て――。ああ、視界が白く染まってゆく。

・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・

「はい、メリーゴーランド終わりだよ。」
幼い乗客は、回転が止まってもぼんやりと木馬の上に座ったまま動かなかった。平日のこんな昼間に一人で広場に遊びにくる子どもは珍しい。メリーゴーランドに乗せながら警察に連絡すると、やはり迷子の届け出が出ていたようだ。
「お嬢ちゃん?」
ぼんやりと床を見たまま動かない子どもに声をかける。困ったような不安げな様子で彼女は私を見上げた。
「おかあちゃん、いない…。」
今更迷子だと気づいたのだろうか。微笑ましく思って、頭を撫でると泣きそうだった顔がちょっとくすぐったそうに笑う。移動遊園地をしていると、こんな子どもの無邪気な表情に触れられるのは悪くない。
「一人で降りられるかい?」
できるだけ優しく尋ねると、頷いた彼女は小さい体を駆使して、木馬によじ登ったときと同様にするすると降りた。そしてやはり何かを探すようにきょろきょろとあたりを見回す。小さな手を引いて入口に戻ると、広場の向こう側からエプロンにジャージを羽織った若い女性が走ってきた。
「すみませーん、警察からご連絡いただいた陽だまり園のものですが!」
 施設の指導員を名乗る女性に少し叱られて、手を握られても困ったように少女はあたりを見回していた。何かを探しているように。
「もう。ゆきちゃん、先生心配したんだよ。いっつもお昼寝の時間にいなくなるんだから。すみません。ご連絡、ありがとうございました。」
手を引いて歩き出す女性にゆきちゃんと呼ばれた子どもが尋ねる。
「おかあちゃんは?」
「……またおかあちゃんの夢みてたの?」
困ったように微笑んだ女性は、子どもを抱き上げた。ぎゅっとしがみつく小さな手が愛おしい。最近の子どもは訳ありが多いって言うのは本当なんだねぇ、とぼんやり思いながらその背中を見送った。ふいに一陣の風が吹く。
「ごめんね、ゆきちゃん。」
風に乗ってきたのは先ほどの女性の声だろうか。少し悲し気な静かな声音が聞こえた気がした。
< 4 / 7 >

この作品をシェア

pagetop