お題小説まとめ①

トシオ

その日は過去最高気温を記録する猛暑日だった。だからと言って俺が入部したテニス部では特に練習が楽になるということはない。昨日の夜はどこか近くの中学で熱中症で運ばれた生徒が出たという注意喚起のニュースが流れていたから、今日くらいは楽になるんじゃないかと期待していたのだけれど。顧問もコーチも相変わらず無茶な練習を強いてくる。なんならいつもよりも激しいような気さえして辟易していた。
「っていうか、暑いよなぁ。」
10分間だけ許可された休憩時間。部員はそれぞれ木陰に散って水分補給する。ペアを組んでいるトシオと並んで座りながらそうぼやく。トシオはスポーツドリンクが入ったボトルを両手で握り締めたままぼんやりとしていた。
「お前、大丈夫かよ。」
トシオはそもそもおっとりとした性格をしている。やんちゃ、バカ騒ぎ、で先生たちに目をつけられている男子テニス部の中では異質な存在だった。トシオを見習って優等生になれよ、そう顧問が言うたびにトシオは仲間内で少しずつ孤立していき、いつからか俺以外と話す姿は見られなくなった。それでも、部活中にこんなにぼんやりする姿は見たことがなかったのに。
「ねぇ、マサキくん…。」
数十秒。肩でも揺さぶろうかと思うほど、たっぷり間を開けてからトシオは口を開いた。どこを見ているかわからない濁った目をして呟く。
「この中学の七不思議、知ってる?」
「えっ、なんだよ急に。」
「七つ、知ってる?」
重ねて尋ねられ、うーんと唸った。中学校の七不思議、ありきたりな内容はつい最近、クラスメイトの女子生徒が騒いでるのを聞いたばかりだった。指を折りながら1つずつ上げていく。
「音楽室の肖像画が笑う、人体模型が走る、4時44分に増える階段……これで3つだろ?あとは、開かない扉があるトイレ、校庭の銅像が追いかけて来る、それと……夜のプールで泳ぐ人影…あと、知っちゃいけない7つ目、だっけ?」
俺の言葉を聞いているのかいないのか。俺が上げた不思議については何も触れずにトシオはぼそぼそと呟く。
「僕……、7つ目わかっちゃったかもしれない。」
「は?」
「この学校で死んじゃうと、人体実験されるんだよ。」
なんだよそれ、と聞き返そうとしたタイミングで休憩の終わりを告げる笛の音が鳴り響いた。もやもやする俺を残して、トシオが無表情のままコートへと歩き出す。なんだか足元が不安定なようにふらついていた。こいつ、なんだかやばいんじゃないか。そう思った俺の予感が的中したのは直後のことだった。練習再開とともに言い渡された外周ランニングの途中で、トシオの体が不自然に傾ぎ地面に倒れこんだのだ。
「トシオ!おい!大丈夫か!?」
慌てて肩を揺すっても反応がない。体操着越しにひんやりとした体温が伝わってきて焦りが募る。熱中症じゃないか、とどこか浮足立ったような様子で周りの生徒たちが騒ぐ。大丈夫かトシオ、と心配する素振りの同級生になぜか苛立った。今までトシオのことなんて無視していたのに。ようやくやって来たコーチがおろおろと泣きそうな顔でトシオの名前を呼ぶ。けれどもぐったりとしたトシオはだらんと四肢を伸ばしたまま反応しない。追ってやってきた顧問がトシオをおぶさり校舎へと消えていき、その日の練習はそのまま終了となった。
 それから、トシオの姿をみた生徒は誰もいない。最初の内は、猛暑の練習のせいで熱中症になったんだ、とか、あいつ頑張っていたから、とか訳知り顔で騒ぐやつらもいた。夏休みが明けてもしばらくは姿を消した優等生の話題で盛り上がっていたけれど、もともと影が薄ったせいもあり、いつの間にか噂すら消えていた。登下校時にわざと通ることにしたトシオのクラス、窓際の後ろから3番目。埃をかぶったトシオの机。そこに花が置かれていないことを確認して少し安心する。そんな日々が過ぎ去っていった。
そのままトシオが戻ってこないまま部活も引退を迎えた。あっという間にやれ推薦だ、入試だ、と新しい日々がやってきた。トシオのクラスの前を通って机を確認する習慣は続いていた。けれども席替えがあったらしく、もうどれがトシオの机かわからなくなってしまった。もしかするともうトシオの席自体ないのかもしれない。そう思ってもあまり悲しく思わない自分に少しショックを受けた。それでも、薄情な俺だけを連れて日々は進んでいく。
いよいよ卒業が間近に迫ったある日、推薦の手続き書類を忘れて、最終下校時刻すれすれで校舎に駆け込んだ。
「おっかしいな、ここに入れたはずだったのに。」
散らかっているロッカーの中の書類を探しているうちに、気が付けば最終下校時刻を超えていた。先生に見つかったら叱られるに違いない。大会前でも行事前でも、この学校は必ず下校時刻になれば教員が生徒を校内から叩き出す。昔、肝試しで校内に忍び込もうとした生徒が退学になったという噂も聞いた。さすがにたった数分で今更退学や推薦取り消しにはならないはずだけど。そう思いながらも少し焦った気持ちで書類探しに集中した。
「お。あった。」
奥の方で教科書に挟まっていた書類を見つける。慌ててそれをカバンにしまうと、教室を飛び出した。最終下校時刻を15分すぎていた。もちろん生徒の姿はどこにもない。急いで昇降口に向かう。途中、いつもの癖でトシオのクラスの前を通った。
「え。」
思わず足を止めたのは、そこに人影があったからだった。窓際、後ろから3番目。その後も何回も席替えがあったせいで今は誰の席かすらわからない。そこにぼんやりと座っているのは。
「トシオ…?」
心臓が肋骨の隙間から飛び出すのではないか。そう思うくらい大きな音を立てる。俺の声が聞こえたのか。夕暮れ特有の薄暗さの中で窓際の影がこちらを向いた。それは夏まではよく見知っていた姿と酷似していた。俺を呼ぶ声によって疑念は確信に変わる。
「マ、サキ…クン、」
「お前、今まで、」
言いかけたところで、かくん、とトシオの――トシオであるはずの何かの首が機械的に傾ぐ。「人体実験されるんだよ」最後に聞いたトシオの声がふいに脳内で再生される。駆け寄ろうとした足が止まった。
「ナナふシギ、シッた」
聞きなれている声音と同じはずなのに、どこか機械的なトシオの声。立ち上がるトシオの姿に思わず後ずさった。なんだよこれ。冗談にしては悪趣味すぎるだろ。こちらにまっすぐ向かってくるトシオの体が並ぶ机にぶつかるたびに硬質な音が無人の教室に響く。まるで、体が鋼になっているような。
「マサキ、クン、シッた、シッて、シマ、ウ、ダメ、」
背中に冷たい壁の感触。気が付けば俺は廊下の壁ぎりぎりまで後退していた。硬直する俺の目前にトシオが立った。色のない肌。ガラスのような瞳。首からは人工的なコードが飛び出ている。
「ひっ」
トシオは無表情のまま手を伸ばし、悲鳴を上げそうになる俺の口を直線的な動きで塞いだ。その手は全く温度がなく、人の手というよりは何か機械のようだった。緊張で動けなくなった俺に向けて小さく呟く。
「逃げて。」
昔と変わらない声だった。トシオのガラス玉のような瞳が一瞬揺らぐ。
「全部、忘れテ。」
トシオの手が離れると同時に弾かれるように走り出した。階段を駆け下りる途中、振り向くとそこには無表情のまま立ち尽くすトシオの姿があった。――それから後のことは何も覚えていない。気が付けば自室のベッドの上で朝を迎えていた。すべてが夢だったのか、それとも現実だったのか。それはわからない。
卒業式を間近に控えた今日も俺はトシオのクラスの前を通る。席替えをしたはずの窓際後ろから3番目の席には誰も座っていなかった。
< 6 / 7 >

この作品をシェア

pagetop