助けてください!エリート年下上司が、地味な私への溺愛を隠してくれません
「申し訳ございませんでした」
僕はその知らせを電話で聞いた時、血の気が引いた……という言葉では片付けられない程の衝撃を受けた。
自分の世界が崩壊する程、という言葉の方が、その時の心境を表すのに相応しいかもしれない。

人材業界の中で、特に「転職支援」を仕事にしている人間にとっては、クライアントからの絶対的信用が不可欠。

人事から「求人」を預かり、その求人に合う人を探すという仕事。
言葉にするだけならひどく単純な話だが、その裏には無数のライバルがいる。

同じポジションを争うのは同業他社。
これはとてもシンプル。他社より「良い人材」を推薦すればいい。

クライアントが欲する人材と組織の状況、そして同じポジションの求人を出している他社の求人を徹底的に分析し、1番クライアントの「今」に必要な人員を割り出し、社内のデータベースと照合させる。
必要があれば、合うと思っている人が社内のデータベースにいる場合は自ら説得し応募を促す。

このように、行動と戦略が結果を伴いやすいので、こちらのパターンはそこまで怖くない。

問題は、同じ人材を争う場合。
これは、自分が目を付けた人材というのは、他社だけではなく、同じ部署の別の人間が担当している会社も目を付ける確率が圧倒的に高い。

良い人材というのはどの会社も目をつけやすくなり、奪い合いになる。
そして、そんな人材をどうすれば手に入れられるのか……いかにその人材に自分を、そして自分が担当しているクライアントを魅力だと思ってもらえるかに全力を注がなくてはいけない。

これが、難関。
人の心はちょっとしたことで変わりやすい。
一度振り向いたと思っても、それすらフェイクであることも多い。

実際人材紹介で注力されるような人材は、自分の見せ方がうまい人間が多い。
だから、誰に対しても「あなたが1番です」と答え、自分に注力させることが得意なのだ。

僕は……このことをよく知っているはずだった。
逆にうまく利用して、のし上がってきた。自信はあった。

そうして、僕はこの自動車メーカーの担当を任されることになり、今まさにこのメーカーの新規事業に関わる、ある希少スキルを持った人材の採用を担当することになった。

難易度がとても高く、1人では作戦を立てることが難しかったので、僕がこの会社に新卒で入った時から世話になっていた、ある先輩に相談をしながら、着実に攻めた。

そうして数ヶ月かけ、まさにどんぴしゃのスキルを持つ、ある人物を推薦することができ、とんとん拍子で、最終フェーズである「入社」迎えている……はずだった。

結果から言えば、僕はこの採用に失敗をした。
それどころか、一気にこのクライアントからの信頼を地に落とした。

理由は「入社前辞退」。
内定を承諾したはずの人物が、突然入社を辞めると言い出したからだ。

これは、人材業界にとってはタブーの中の1つ。
もちろん、憲法で職業選択の自由が尊重されてはいるものの、この入社前辞退に関してはクライアントのお金がすでに動いている事態であるため、あってはならないことの1つとして教えられる「事件」だ。

最初は僕もこの人物を説得しようと動いた。しかし、ある日突然連絡がつかなくなった。
それと同時期、全く同じスキルを求める別の世界的に有名なメーカー企業の採用が成功したと、社内で大きな話題になった。

その話題になった人物の中心こそ、僕が逃した人物であり……そして彼を別の会社に入社させたという人物こそが、僕が信頼して相談をした……あの先輩だった。

「どうしてあんなことをしたんですか?」

僕はすぐに、喫煙所で一服をしていた先輩を捕まえて聞いた。

「あんなことって?」
「とぼけないでください。あの人のことです」
「ああ……」

先輩は、タバコの煙を僕に思いっきり吹き付けながら、こう吐き捨てた。

「お前の根回し不足を、俺のせいにすんじゃねえよ、無能が」

それからすぐ、この先輩はこの時の手腕を買われ、あっという間にそのメーカー企業の人事担当者としてヘッドハンティングされた……という話が流れた。

僕は、確信した。
先輩がのし上がるために、僕は踏み台として利用されたのだ、と。

それがわかった時、僕は人を信じるのが怖かった。
とても、信用していた。
何でも話せると、思っていた。
そんな先輩にされた仕打ちを別の上司に話したこともあったが、よくあることだ、と笑い飛ばされた。

それが人材業界なのだ、と突き放された。

そんな出来事があってから数ヶ月。
僕はあのクライアントから出禁を言い渡され、これまで数千万程あった取引が一気に0になった。

このままではまずい、と上層部は僕を直々に呼び出し、何としてもこの出禁を解除してもらうようにと迫った。

何度も電話をかけたが門前払いを食い続けた僕は、居ても立っても居られなくなり、直接会社に行くことにした。

新入社員研修の時以来の飛び込みアポ。
ただし、相手からの印象が最悪に悪い状態というのは、生まれて初めてだった。

本当は、そんなことを経験したくはない。
けれどもう、埒が明かない。
それほどまで、僕は自分の会社からも追い詰められていたのだ。

会社は、都内有数の一等地に建てられた自社ビル。その地域のランドマークにすらなっている程の大きさとデザイン性がある。
数千人の社員を抱えていることもあり、正面玄関は、たくさんの人が行き来している。

僕はそれを見ながら、なかなか中に入る勇気を持てずにいた。
怖い。
失敗をするのが怖い。
直接門前払いされるのが怖い。

スーツの中のワイシャツにじわりと汗が染みていく感覚がとても気持ちが悪い。
僕は、くらりと倒れそうになるのを堪えていた。


その時。
「あのぉ……」
と背後から声をかけられた。
振り返ると、大量の飲み物が入ったビニール袋を両手に抱えた、制服姿の女性が立っていた。

「大丈夫ですか?中に用事ですか?鍵はかかってないから入れますよ」

などと、少々的外れな声がけをしてきた彼女こそが、後に「高井綾香」という名前だと知り、僕の部下になる女性だった。

それが僕と、高井綾香の「本当」の初めての出会い。
< 19 / 88 >

この作品をシェア

pagetop